声優名鑑 -矢島正明

声優で見る作品を選ぶという、ドラマ。ファンは少なくない・・・。毎回一人の声優に焦点をあて、本人インタビューや出演作品の映像をもとに、「ドラマ吹替え制作当時」のとっておきのエピソードや彼らのバイオグラフィーを紹介するドラマ・ファン待望のコーナーを完全収録!

矢島正明

矢島正明

宇宙大作戦/スタートレック」カーク船長の声で人気を集めた矢島さん。ほかには「ナポレオン・ソロ」のソロ、ウィリアム・シャトナーやロバート・ボーンの吹き替え、「鉄腕アトム」のヒゲオヤジなどの声を担当されています。

また、「逃亡者」「謎の円盤UFO」「ダラス」をはじめ、名ナレーションを数々生み出していらっしゃいます。現在、矢島さんのナレーションは「世界・ふしぎ発見」「オーラの泉」で聞くことできます、そうあの声の方です!

俳優、そして声優の仕事を始めたきっかけとは?

矢島
なかなか一言でお答えするのは難しいですね。僕は子どものころ、近所の子供たちを集めて、紙芝居をやるのが大好きでした。得意なレパートリーが三つくらいありました。こんなことも一つのきっかけになっているのかもしれませんね。
でも、一番大きいのは終戦の年ですか。昭和20年の4月から8月にかけて。一番戦局の厳しい時代ですけれども。僕は中学1年でした。学校に通っていますと、昼間、偵察機が来るんですよね。そうすると、空襲警報が鳴り、授業が休みになる。そんな時に、僕はよく浅草へ行ったんです。金龍館、常盤座、大勝館。この三つが厳しい戦時下でも芝居をやっていました。そこで、きどしん(木戸新太郎)とか、しみきん(清水金一)という軽演劇をたくさん観ました。それも一つの下地になっているでしょう。
それから、高校3年くらいになりまして、今度は新宿のムーラン・ルージュですね。森繁久彌さんが中央へ出てしまった後のムーラン・ルージュではあったのですが、それでも中江良夫とかとか菜川作太郎とかという、錚々たる作家たちがいまして、結構おもしろい風俗劇がたくさんありました。そういうものを、授業が終わった後に道草をくって観たというのも、一つの演劇的な素地だったと思うんですね。
そして大学へ入って、今度は放送研究会に入りました。そのころになると、自分は演劇の世界で生きていきたいなという思いが定まってきていまして。でも、自分の背丈や顔では舞台栄えがしないなと思っていたわけですね。青春時代に。僕が生きられるとしたら、もしかしたら声の世界かもしれない。声が僕の一つの劇的な表現の道具になっているのかもしれない、というような思いがあって、放送研究会に入りました。
当時、大学のドラマコンクールがあって、私が主役を演じた創作ドラマが第1位になったことがありました。当時はまだ民放ができたばかりでしたから、たちまちそれが放送にのったりして。そういったことから、何か僕にも一つの可能性があるかもしれないというように思い出した。その辺がこの世界に入るきっかけになったのかもしれません。

最初の"吹き替え"の仕事

矢島
ラジオ東京テレビ(現TBS)の「海賊船サルタナ」です。強気をくじき、弱きを助けるという、そんな海賊の船長の役。僕は船長に縁がありますね(笑)。

"吹き替え"をとりまく変化について

矢島
大きく変わったのは、なんといっても技術面の進歩ですよね。われわれが始めたときは、生放送の時代でした。それから録音時代に入りましたが、まだフィルムでしたから、フィルムを回し、そのフィルムの速度に同調するテープレコーダーが開発され、それらを同時にスタートさせて録音していくわけですね。

そのテープがまた貴重ですから、とちることができない。非常に手に汗握る思いで吹き替えをやっていた時代でした。今は、VTRでとちったら、そこからすぐにやり直すことができるし、どうしてもあのシーンが不満だったなと思えば、後からそこを抜き録りして入れ替えることもできる。そういう意味では非常に技術的に進歩しましたし、その技術の便利さの上にのって、われわれ役者も、思い切った芝居が、100%きちっと気持ちを入れてやれるようになった。これが最も変わった点だと思いますね。
変わらないということは、何でしょうか。・・・吹き替えというのは、向こうの役者の絶対的な価値の一つである声というものを、われわれの声と入れ替えるわけですよね。ですからこれは、考えようによっては非常に失礼な話だと思いますよ。ただ、ある社会的な効用があって吹き替えというのは必要なんでしょうけれども。ですから、われわれの罪が許されるとしたら、向こうの役者がやったことに100%に近く、限りなくその役者の創造したものにこちらが追いついていくということ。そういう意志ですかね。やっている人たちは皆、そう思ってやっていると思うんですよね。僕もそう思ってやっていますけれども。それが変わらないことと言えば変わらないことなんじゃないでしょうか。役者が少しでもいい吹き替えの日本語版をつくろうという「良き意志」ですね。

"声の仕事"の魅力

矢島
まず吹き替えのことで言えば、なんといっても向こうの役者の演技のリズムに、しっかりとこちらがのれたぞと確信したとき。それは非常な醍醐味ですよね。それからもう一つは、向こうの役者に触発されて、自分が思ってもみなかった自分の中の可能性を、その役者によって引き出されてしまう。そういう瞬間っていうのがありますよね。それは、「あ、僕の中にこんなものがあったんだ」という喜び。これが吹き替えの魅力といえるかもしれませんね。
ナレーションに関して言えば、自分の思うような声がしっかり出せて・・・。つまり、われわれは生き物ですから、自分の声がよく響いているとき。今日はまったく響きませんけれども(笑)。そのときにはひとつのゆとりができますから、自分がこういうふうに表現したいと思うことが、思うようにいけるわけです。声がついてきてくれないと、自分が表現したいと思っていることの何%しかできないと思うんです。自由自在に自分の声を操ることができる日。それはひとつの、ナレーションの醍醐味ですね。

自分の声を客観的に聞いて思うことは?

矢島
僕は自分で、非常に平凡な声だと思いますね。自分の声は特別だと思ったことはあまりないですね。多少は、「お、いいかな」と思うことはありますよ。そういううぬぼれがないと、こういう稼業はやっていられないんですけれども(笑)。でも、客観的に、冷静になって考えてみれば、自分の声は非常に平凡な声だと思いますね。
例えば、若山弦蔵さん、大平透さん、納谷悟朗さん、熊倉一雄さん。いろいろ多彩な声があるじゃありませんか。だけれども、そういう声と比べたら、僕のは非常に平凡ですよね。ただ、それを支えているある種の語り口、イントネーション、例えば語尾の処理とかに、もしかしたら僕のパーソナリティーがあるのかもしれないなということは時々思いますね。

自分の声の特徴について

矢島
例えば、「リチャード・キンブル 職業 医師 ただしかるべき正義も時としてめしいることがある」。こういうふうに、つまり一つの流れをどうつくるかということですよね。止めて、止めて、流す。そういう自分なりの語り口のリズム感と流れを醸造する。何かそこに僕の、少し特徴があるのかもしれないな、と思うんですが。

作品づくりへ取り組む第一歩

矢島
台本をもらったら、まず自分のせりふをチェックします。次にあらすじを読みますね。あらすじを読むと、大体自分の役柄がどんなものか頭に入る。そしてイメージする。それからVTRを観る。
VTRをいきなり観ちゃうとね、映像の中に埋没しちゃうんですよ。役者というのは、どうしても自分が直接的に吹き替える役者に集中しちゃいますから、全体が見られなくなるでしょう。だから、なるべくそれを避けて、あらすじを読むことによって、その作品の中での自分の役柄の位置をまず?んでおいてから、基本的な態度を決めて映像を観る。そういうことがこのごろ多いですね。

演技をする上で重要視すること

矢島
やっぱり声ですね。本番に向かって、その役柄らしい声をどういうふうに整えていくか。それは、なかなか計算どおりにいかないんだけれども、でもそこに注意力を集中させるんです。その役柄らしい声が出るように、自分なりにトレーニングをするわけですよね。そのためには睡眠をちゃんととっておいたほうがいいのか、酒を飲んでちょっと荒らしておいたほうがいいのか、とかね。そういうことをまず考えますね。
簡単に言ってしまえば、向こうの役者の演技をきちっと読み取って、その演技のリズムに肉体的に、生理的にのるということです。それで、向こうの役者がやっていることを的確に日本語に置き換える、ということでしょうか。それが基本的な演技の心構えですよね。
最終的には、その映像の中に、自分の声の印象が消えこむことが理想です。だから、矢島正明がその声をやっているということを誰も意識しない状態が、僕はいいと思います。カーク船長を観ていただいて、「あ、矢島正明だ」と、こう思っていただくのは、僕にとっては不本意なんです。やっぱり「あれはカークだ」と思ってくれればいい。それは僕の声が完全にウィリアム・シャトナーという肉体の中に消えこんでいるというわけですよね。だから、声のパーソナリティーが映像を超えて、直接聴き手に訴えてしまうというのは、僕は吹き替えとしては邪道ではないかと思うんですよね。

宇宙大作戦/スタートレック」との出合い

矢島
とにかくあれはもう40年近い前ですから、記憶がしっかりしていないんですけれども。ディレクターは、「この作品は市ヶ谷スタジオで録っていた」と言うんですが、僕は赤坂の三栄スタジオで録っていたと思うんですよね。そのくらい記憶があいまいになっているんですけれども。そこで観た、最初の「宇宙大作戦/スタートレック」の印象というのは、非常に荒唐無稽に感じたというのが正直な気持ちですね。
あの衣裳といい、あのメイキャップといい、あの背景といい・・・。本当にこれは、ファンの方には申しわけない感想なんだけれども。でも、回を重ねるごとに、だんだんおもしろくなってきて。われわれが思っている命というものの形態も、こんなふうにいろんな形が考えられるんだということだとか。未知のものを理解し、それにコミュニケーションを持とうとする。そこから未来が開けていくのだという「スタートレック」の世界観とか。
そこへ至ったのは、それこそ何十年という航海の末ですよ。むしろファンの方に教えていただいたというのが偽りないところですね。

「宇宙大作戦/スタートレック」カーク船長について

矢島
カークは理想の船長じゃないでしょうか。つまり、弱さを抱えた人間の、ひとつの理想的な人物像と言ったらいいのかな。カークは、ある状況に直面したとき、とても迷うことがありますよね。スポックが言うこと、マッコイが言うこと、チャーリーが言うこと、あるいは周囲が言うこと。その中で自分はどういう決断を下すべきか。非常に迷っていく。そこですごく情けないくらいに迷うことがあるじゃないですか。本人も悲しくなっているなというのがわかるような。そういう人間の弱さを認めた上で、ギリギリの決断をする強さが生まれてくる。そういうものとして人間を見ているというところでしょうか。

「宇宙大作戦/スタートレック」 ウィリアム・シャトナーについて

矢島
ウィリアム・シャトナーというのは、僕にとっては永遠の宿敵ですね。とにかく、かなりエキセントリックな演技プランを、非常に頭脳的に考えていらして、そしてそれを何とかご自分の肉体を通じて形象化しようとするタイプの役者ですよね。ですから、生理的な発想に逆らって芝居を組み立てることがあります。
そこがシャトナーの魅力でもあり、吹き替える役者の立場から言うと、これが不条理なんです。どうしてそんな落とし穴をつくってくれるんだとか、どうしてもう少し気持ちよくこっちの情動を刺激してくれてもっと気持ちよく芝居をさせてくれてもいいのになと思うところに、グッとブレーキをかけられたり、ブワッと押し出されたりする。そういう芝居が多いですよね。でも今は、それが僕にとっての生きがいになっていますね。
40年近くウィリアム・シャトナーさんという方と付き合ってきて、少しずつその辺の、シャトナーの息合いというものがわかってきて、それを少しずつ自分も正当化することができるようになってきた。それが「スタートレック」によって、役者・矢島正明が育てられたという実感を、本当に、70歳を過ぎた今になって思っております。

「宇宙大作戦/スタートレック」 お気に入りのエピソード

矢島
役者として非常に印象に残っているのは、やはり「二人のカーク」です。転送装置の故障でカークが、善のカークと悪のカークに分かれてしまって、2人が渡り合う。これは1人で2役やるわけですから、こんなうれしいことはありませんでしたね。本当にファンの皆さんには申しわけないんですけれども、役者としてはこのエピソードが最も強烈に印象に残っているんです。お許しください。

「宇宙大作戦/スタートレック」カーク船長とスポック副長のコンビについて

矢島
とにかく久松(保夫)さんの、あのすばらしいエロキューションに、こっちはついていくのが精一杯でしたからね。ですから、とにかく久松さんの芝居を乱してはならぬ。ということは、こっちがとちってはいけない。何とかウィリアム・シャトナーの吹き替えとして、そのシーンをしっかりと乗り越えること。あの作品をやっていた当時、僕はそれだけで精一杯だったという感じが否めませんね。

この先、「宇宙大作戦/スタートレック」のような未来社会がくると思いますか?

矢島
僕はその辺をあまり想像してみたことはないですね。でも、くるんじゃないですか。そういう人類の未来を、「スタートレック」同様、僕は楽観的に感じているかな・・・。
まあ、人間はそこまでいかなくてもいいのかなとも思いますし。でも、1回、もうこの科学の進歩の流れに乗ってしまったものは、なかった昔には戻れないわけで。われわれ人類はそれをいかにして、どうにかして克服していかなければならないんでしょうね。文明の流れとしては。
 だけど僕は、携帯電話でさえ、去年までは拒否していた人間ですから。ましてパソコンはいじりませんし。僕はもう、一切の機械を拒否することによって、やっと命脈を保っているというのが現状ですから。そう、あのような未来・・・。ああいうふうに未来につないでいくように、一つ一つの困難を克服して人類が生き延びていければいいな、ぜひそうあってほしいなとは思いますけれども。

TVシリーズ「ナポレオン・ソロ」 ソロのキャラクターについて

矢島
ソロのキャラクター。そうですね・・・。「ナポレオン・ソロ」の前に、「バークにまかせろ」という若山弦蔵さんがやっていらしたシリーズがありました。これが非常に洒脱なバークだったわけです。翻訳家も篠原慎さんという「ナポレオン・ソロ」を翻訳された方と同じ方なんです。ですから、いわゆる「オネエ言葉」を使うということを、「バーク」がまず確立したわけですよね。ですから、「ナポレオン・ソロ」が始まったときに、まったく同じ文体のせりふがきたわけです。
それをどんなふうに僕がやったとしても、これは若山弦蔵さんの亜流にならざるを得ないかなという、そういう危惧がまずありました。だから、バークとは違う、あくまでもロバート・ヴォーンの「ナポレオン・ソロ」ですから、ロバート・ヴォーンとマッチしたオネエ言葉を言わなければならないと思いました。
最初に単純に考えたのは、若山さんの低音の魅力に対して、僕はなるべく頭部共鳴、顔面共鳴を使って、できるだけ高いほうの声を主体にして。それで、彩として低音をちょっとずつ加えていこうと。そういう声の上の発想が、まず第一にありました。
あとは、これは吹き替えの原則ですけれど、ロバート・ヴォーンの演技のリズムをどうやって?むか。どうやってロバート・ヴォーンについていくかということですよね。それが言ってみればすべてなんですけれどね。たまたまロバート・ヴォーンが本来持っているひとつの生理的なリズムといいますか。そういうものは、割と僕の持っているリズムと似ているんですね。だから、非常にやりよかったですね。ウィリアム・シャトナーと対比すると、ヴォーンのほうが自然体でやれました。ウィリアム・シャトナーの場合は、ひとつ気張って、「よし、違う自分を演じるぞ」という気持ちを持つというか。そういう違いがあったと思います。
「オネエ言葉」は、新しさを出したかったんじゃないでしょうか。言ってみれば、その前にちょっと西部劇ブームの時代もありましたので「動くと撃つぞ」とか、「なになにだぞ」とか、そういうストレートなせりふが多かったですよね。それを「なになになのよ」と言ったほうが、都会的な洒脱味が出るだろうというふうに、おそらく「バーク」のスタッフが考えた。若山弦蔵さんも一緒に考えた。昭和40年当時では、あの文体は非常に新しい感じがしたんだと僕は思いますね。それで人気が出たんじゃないでしょうか。

海外ドラマの魅力とは?

矢島
やはり何と言っても向こうはアイデア。それも1人じゃなくて複数の知恵を集めるでしょう。原案があって、ストーリーがあって、それでスクリーン・プレイがある。どういうふうにそのシリーズを運んでいくかということに関する長期的な見通しの上に立って、たくさんの頭脳がプランを練り上げていくのだろうと思いますが、その緻密さじゃないでしょうか。そこがやっぱり、海外ドラマの魅力だと思いますね。

声の仕事を目指す方へのメッセージ

矢島
「声だけだから簡単だわい」、と思わないでほしいなということがまず第一です。声優を志すならば、やはり芝居から入ってほしいと思います。いかにして人間像を自分なりに作り上げていくか。その辺の一つ一つの作業を基礎からきちんと積み上げて、自分で肉体化していくということがまず基本にないと。声だけで入ってくると、どうしてもその辺が抜け落ちてしまうんですよね。
このごろの吹き替えの世界で、芝居の人たちが席巻してきているということは、声優として純粋に育ってきた人たちは何か危機感を感じなければならないと思うんですよね。そういう意味で、新しく仕事に入る人は、やはり基本的人間像をどうやってつくっていくのか。そこのところをがっちりと固めてから入っていただくのが一番いいのではないかなと思います。

矢島さんにとって声優とは?

矢島
うーん...。声優とは何でしょう...。なぞなぞみたいだな。どう答えたらいいんだろうな...。
声優とは、言ってみれば、僕が一生かかって、これにしかなれなかったものですね。

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