声優名鑑 -野島昭生

声優で見る作品を選ぶという、ドラマ。ファンは少なくない・・・。毎回一人の声優に焦点をあて、本人インタビューや出演作品の映像をもとに、「ドラマ吹替え制作当時」のとっておきのエピソードや彼らのバイオグラフィーを紹介するドラマ・ファン待望のコーナーを完全収録!

野島昭生

野島昭生

ナイト2000(K.I.T.T.)、そして「CSI: 科学捜査班」ギル・グリッソム役でおなじみの野島さんが、声優という仕事、そしてその魅力を語ってくれます。野島さんは、古川登志夫さん、古谷徹さん、曽我部和恭さん、三ツ矢雄二さんと一緒に「スラップスティック」という当時人気のバンドではギターやベースを担当されていました。

声の仕事に出合った経緯

野島
実は僕、声の仕事は子どものころからやっていまして、アテレコの初期からやっているので長いんですよ。当時は生放送でしたね。
それからしばらくたって、録音になったんですけれども、あれが一番いやでしたね。「ローハイド」という作品で、ヘイ・スースという馬番の役をやっていたんですけれども、最初から30分撮って、最後にトチると、また最初からやり直しなんです。これほどいやなものはないですよね。今みたいに「はい、オンリー」って間違えたところだけやり直すというのはできないんです。だから、もう、みんな必死でしたね。
本格的にレギュラーをもらってから印象に残っているのは、「ナンシーはお年ごろ」という作品です。
大統領の娘がナンシーっていう名前で、僕は獣医の青年役だったんです。そのレギュラーで初めて本格的にアテレコっていうのをやり始めたんです。
当時は声だけでなく、生の顔出しもいろいろやってたんですよ。スタジオドラマとか、TV映画とか。でも、やっぱりアテレコっていうのはおもしろいなと思って、どんどんどんどんそっちへいって。30歳前からはほとんどアテレコだけになりましたね。

声の仕事の魅力

野島
声の仕事の一番の魅力・・・。まあ、声の仕事と言っても、アテレコ、アニメ、ナレーション、その他たくさんあるから幅広いですよね。アテレコに限れば、役にいかになりすまして、自分が日本語版で、その役にプラスアルファをしていくか。そして、さらにおもしろいものをつくっていくかというところに、魅力というより、おもしろみというか、僕はいつも心掛けていますね。

ナレーションとアテレコの違い

野島
作品の内容がどういうものなのか、どういうターゲットなのか、何を言わんとしているのかをまず把握することを考えると、同じですね・・・。まあ、ナレーションの場合は、作品をつくった人の、こういう作品にしたいという気持ちがきちんと伝わってくるけれど、アテレコの場合は、映画を作った監督さんがいて、さらにアテレコの監督さんがいて、ミステリーだ、ラブだとか、いろんなテーマがあって、それぞれ理解しなければならない。結局、違いはないということですね。
まず自分の中で作品の内容をつかむっていうことは、ナレーションでもアテレコでも、ほかの仕事でも何でも一緒ですね。それがきちんとつかめないと、大変なんですけれども。

発声するときに気をつけていること

野島
ナレーションの場合は、最後の語尾まできちんと聞こえるようにするということ。「~であります」の「す」がきれいに聞こえるとか。せりふももちろん同じですが、せりふというのは生きているので、「そうじゃないじゃないか」「よしわかった」って、ちょっと語尾の音圧が変わってくるんです。ラブシーンだったら、ウィスパーで、「そうだったのか...」ってやってみたり、要するに、芝居が優先されるんです。
ナレーションの場合は、ある一定の音圧でずっと聞かせます。発声の違いはそのくらいで、自分の中の表現は同じですね。

「スラップスティック」について

野島
「スラップスティック」ですね。最初につくろうと思ったのは、簡単な動機なんです。神谷明と、曽我部和恭ってのがいて、3人でよく飲みに行ってるスナックにギターがありまして、曽我部のギターがものすごくうまいんで、それに合わせてみんなでアニメソングとか歌謡曲とか、いろんなのを歌ってたんですね。楽しく飲んでいたんです。そしたら、その店がつぶれちゃったんですよ(笑)。
それで、バンドやりたいねっていうことで集まったんです。当時、ベンチャーズが僕ら3人とも好きだったんですよね。テケテケテケテケっていうやつ。それで、じゃあ、バンドつくろうかっていうことになって。だれかドラムが出来る人を探していたら、当時、古谷徹っていうのがドラムス持っていて、もう1人、サイドギターが欲しいなと探していたら、古川登志夫っていうのがやっていた。それで古谷徹の横浜の実家の2階に5人で初めて集まって、真夏に、発泡スチロールで囲って、音が外に漏れないようにして第1回目の練習をしたのが、それだったんです。全員汗だくでした(笑)。
それからも、スタジオを借りて何曲かつくったりして、自分たち5人でバンドを楽しんでいたんです。そのうち、随分できるものがたまってきたんで、思い切ってコンサートをやってみたら、これがすごい、バーッときちゃったんですよね。当時、古谷にしても、神谷にしても、曽我部にしても、みんなファンクラブみたいなのがあったんです。それがみんなウワーッと集まっちゃったから、すごい人が入っちゃって。
そしたら、そこに目をつけたプロデューサーがいて、じゃあ、これを営業でやるかっていうことでやったんですけれども。
それからいろいろな事情があって、神谷が抜けて。新しいメンバーを探していたら、プロデューサーの羽佐間道夫が三ツ矢雄二っていうのを呼んできて。そこからお笑いバンドみたいになっちゃったんですけれども(笑)。
そこからコンサートも年に2回ずつやるようになって。10年くらいの間にLPが12枚くらい出たのかな。それで毎回、コンサートあり、コントあり。大体、僕ら曲が少ないんですよ(笑)。曲が終わると、みんなのおしゃべりが、かなり長いんですよね。それから「じゃあ、そろそろ次の曲いきましょう」っていう、そういうコンサートだったんです。
でも、やっているうちに、アテレコの世界じゃなくて、一応バンドとして、NHKとかいろいろテレビに呼ばれて、出たんですね。そうすると、ああ、歌の世界っていうのはこういう世界なのかって、違う世界がかいま見れたというのが、僕の人生の中ですごく楽しかったですね。本職じゃないので、割と気楽に、客観的にそれが見られたということが、非常に僕の中ではいい思い出としてというか、いいものを経験したなっていう感じで残っていますよね。

声の仕事で印象的だったこと

野島
30年くらい前になると思うんですけれど、「エリックの青春」っていう映画があって。白血病で死ぬ青年の役をやったんです。それを見て感動した方から、「自分は本当は死のうと思ってたけど、これを見て、やっぱり生きることの大切さがわかった」っていう、切々とした手紙をいただきました。そのとき、ああ、こういう仕事をやっていて、人助けじゃないんだけど、そう感じてくれている人がいるんだなというので、すごく嬉しかったというのが思い出としてありますね。

「ナイトライダー」キットについて

野島
実は「ナイトライダー」のキットの役をどういうふうにつくるか、最初は何も決まってなかったんですよ。作品を見て向こうの英語を聞きますと、割とフレンドリーなんですよね。翻訳者の人にも聞いたら、やっぱり対等の英語らしいんですよ。それで、コンピュータっていうのを意識しないで、パイロット版をつくったんです。それを局の人、プロデューサーとみんなで見たんですが、やっぱり、これじゃあないなということになって。
じゃあ、どういうふうにするかっていうのでまた迷いまして。「じゃあ、ちょっとコンピュータっぽくやろうか」っていうので、「マイケル(・・・・)。どう(・・)しました(・・・・)」「どう(・・)したん(・・・)です(・・)か(・)」と、そういう感じでやったんです。それを全部また入れかえて、もう1回みんなで全部見たんです。そしたら、これでもないな、と。じゃあ、どうつくろうか。ディレクターと2人で、ずいぶん悩みました。
それで、「わかった! こういうの、どうだろう」というアイデアが出て。すごい兄貴とちょっとシャイな弟がいる。弟は兄貴のことが大好きで、シャイなんだけど、ちゃんと物事はストレートに話ができる。兄弟愛っていうのかな。そういうものでやってみようかと。だから、「お兄ちゃん、だめだよ」っていうのをもう少し大人っぽく、ちょっとコンピュータっぽく。「マイケル、だめですよ」。これでやろう、これでいこうということになったんです。
3回目で、やっとあの形のキットができたんですよね。だから、キットの性格、キャラクターっていうのは、アメリカ版とは全く違う、日本版オリジナルなんですよね。だから、産みの苦しみっていうんですかね、本当に大変だったんですけれど、それだけに、「ナイトライダー」を見て、マイケルとキットのやりとりを聞いて、楽しい、いい関係だというのを聞くと、「やったな、嬉しいな」というふうに思いますね。

マイケル(佐々木功)とのかけあい

野島
いやあ、大変でしたね。佐々木功さんとの絡みっていうのは。なぜかというと、彼は本番に一番いいものを持ってくる人で。テンションが上がってくると、テストとちょっと違うんですよね。だけど本番では、マイケルとキットの声は別々に録らなければならなくて。
だから、本番になると、僕抜きでマイケルはしゃべるわけですよ。僕はすぐミキサー室っていうところに入って、ずっと聞いてるんですが、佐々木さんは、テストとちょっと違うテンションで、語尾とか「キット行くぞ」っていうんじゃなくて、「行くぞぉ」とか、ちょっと変えてくるんです。
僕は後ろで聞きながら、このせりふはこうきたって覚えておいて、それを頭の中に植えつけて覚えておくんです。で、佐々木さんのところが終わると、スタジオにバッと僕が入って、「すぐやってください」って。記憶が新しいうちに、彼がこう言ったっていうのを覚えているうちに、今度はどんどん、キットだけを録っていくんです。
キットの声は、後で加工しなくちゃいけなかったんですよね。でも、せりふっていうのは、相手がこうきたらこうくるってキャッチボールですから、やっぱり、マイケルとキットのかけ合いがおもしろくなければいけないので、その辺が、やるときに一番苦労したところですね。

「ナイトライダー」の魅力

野島
まず、荒唐無稽で、どの年代の方も楽しめるということが第一ですね。それから、いろいろ事件を解決していくんですけれど、めったに人が死なないんですよ。大体、マイケルが最後、悪人を捕まえて、「じゃあ、警察へ連れて行け」って。ピストルが出てきて相手を殺すとか、そういうのは全くと言っていいほどなかったのかな。残虐なものもないし、おもしろいし。だから、お父さんもお母さんも子どもさんもみんな家で安心して見られる。そういうところのおもしろさが、一番受けたんじゃないかと思っているんですけれど。

「ナイトライダー」で印象に残っているシーン

野島
大体、飛ぶところは好きなんですよ。バーンと飛ぶところ。あと、意外とキットが弱いところやマイケルの情けないところとか。シーンとしては、ナイト2000がドロドロに溶けていっちゃって「うわあ、助けてください...」というのが印象に残っていますね。あとは、それを直して真っ白になっちゃってるキットっていうのも印象的でした。
あとは何だろうな。あまり出てこないんですけれど、キットの兄弟かなと思ったら、実はそうではなかったという、カールという車が出てくる話があって。これも意外と人気があったんですよね。

「ナイトライダー」の見どころ

野島
あんまり考えずに、楽しく見られるというのかな。安心して茶の間でもどこでも、ゆっくりとして見られます。ちょっとした若い美人の女の人もたくさん出てきますし。まあ、見て楽しんでください、ということですね。

キットが人間的になってきたことについて

野島
自分のキットの声は、みんな、「だんだんだんだん人間的になっている」と言いますけれども、自分ではそういう意識はありません。ああいう番組というのは、録音を長い間していきますと、仲間でコミュニケーションがでてきて、あうんの呼吸がだんだんできてくるんです。そうすると、佐々木さんや、いろいろな人とのやりとりも、だんだんうまくいくようになってくるんです。それで、人間的になってきたと感じるんじゃないかな。
野島昭生としては、キットはあくまでもコンピュータだというのは、ずっとありました。

「ナイトライダー」マイケルのキャラクターについて

野島
デヴィッド・ハッセルホフですか。いやあ、カッコイイですよね、背が高くてね。ちょっと会ってみたいなって。1度日本に来るという話もあったんですよ、当時。でも、残念ながら、キットの車だけは来たんですけれども、彼は来なかったんです。やはりデヴィッド・ハッセルホフの魅力も、あの番組の一つではないかなと思います。

野島昭生さんの好きな言葉

野島
僕の好きな言葉ですか。普通に言えば、「自分に厳しく 人に優しく」。かっこよく言えばですね。それが基本で、心がけてはいるつもりなんですけれども。

これから役者を目指す人へのアドバイス

野島
楽しいけれど、厳しい世界です。一度は夢を持って進んでもいいかもしれないけれども、大変だなとは思いますね。才能があるから売れるとか、努力したから必ず売れるとか保証は全くない。そういうものにプラスアルファがあるんですよね。だから、大変なことだと僕は思います。プラスアルファというのは、例えば運です。人との巡り合いや、いい作品に巡り合うとか、そういうことが運ですから。そこに恵まれたら、自分が何千人の中から選ばれてその役をもらうわけです。 それは才能や努力ではないのだから、大変だなと思いますが、それをわかって挑戦して欲しいです。

息子について

野島
息子2人も声優やってますけれど、いつの間にかなっちゃったんですよね。芝居とか、声優界についてのアドバイスは、何もしたことないですね。「今度、こういう仕事をやるんだよ」「へえ、そうなんだ」というくらいの話はしますけれども。「これはこうだよ」「ああだよ」という話は、一切しません。
実は「CSI」という番組をやっているんですけれども、それにたまたま、ディレクターの方の粋なはからいで、長男と次男と次男の嫁さんを、一緒に呼んでくれたんです。それで、4人で同じスタジオに入って仕事をしたんですが、みんなは平気にやっているけれども、実は内心、一番ドキドキしていたのは僕じゃないですかね。

演技をすることとは何か

野島
演劇論というのは、たくさんあると思うんですよね。スタニスラフスキーに始まって、ブレヒトとかいろいろあるんですけれども。
ただ、僕はせりふを言うときに大切にしているのは、その役の人がどういう気持ちでそれをしゃべっているのか。何を言っているかじゃなくて、その言っている自分の心は、何を感じて何をどう思ってそのせりふを言っているか。その感じていることを、一番大切にしていますね。もちろんそれを表現するのは、もっと難しいですよ。

声優とは何か

野島
声優とは何かねえ。声の俳優なんですけれども・・・。俳優さんには、舞台、映画、テレビ、いろんな俳優さんがいらっしゃいます。演技っていうのは、根本的には全部同じだと思うんですよ。
ただ、僕らの声優という言葉ができたのは、まだ20年、30年、経ってないんじゃないですか。僕もそうですけど、昔、アテレコをやってきた連中というのは、劇団で芝居をやりながら、テレビとかそういうもので仕事をしていて、アテレコとかアニメーションに声を入れるということは、スタジオドラマとか映画とか、いろんなものに出ているうちの一つだったんですよね。それがしばらく経ってから声優っていう言葉が出てきて。
声優という分野ができたことはすばらしいんですけれど、僕にとっては「声優」と一つにはくくれない。一つの仕事のポジションですかね。ナレーションをやるとナレーター。声優は、声優。舞台をやれば舞台俳優になってしまうので、声優とは何かというと、声を生業にしている俳優。結局、そういう言葉になってしまいますね。

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