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海外ドラマ最新レポート Vol.746  「フェリシティの青春」ケリー・ラッセルはミスキャスト??

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フェリシティの青春」のケリー・ラッセルとスコット・スピードマンが、米紙で対談、初対面の頃の思い出を明かしている。
1998年から2002年にかけて4シーズンにわたり、WBで放送された「フェリシティの青春」は、まだTVが元気だった頃の青春ドラマを代表する作品だ。
製作総指揮は後にTVシリーズ「LOST」、映画『ミッション:インポッシブル』シリーズや『スター・トレック』シリーズ、『スター・ウォーズ』シリーズなどを手がける天才クリエーター、J・J・エイブラムス。主役のフェリシティを演じたケリー・ラッセルは「ジ・アメリカンズ」や「ザ・ディプロマット」など、良作TVシリーズで主演女優として活躍している。フェリシティが憧れるイケメン同級生のベンを演じたスコット・スピードマンも、映画『アンダーワールド』シリーズや「グレイズ・アナトミー」など出演作に事欠かない。


「フェリシティの青春」で先にキャスティングされたのは、ケリー。大物プロデューサー、アーロン・スペリング(『ビバリーヒルズ高校白書』)製作の青春ドラマ「Malibu Shores(原題)」で主演するなど、すでに実力は折り紙付きの若手女優だった。
それでもJ・J・エイブラムら製作側の審査は厳しく、「フェリシティの青春」オーディションにはケリーの他にもたくさんの候補者がいたという。
「J・Jのオーディションを受けました。数えきれないほどたくさんの女の子たちと一緒に、5度のオーディションがありました。J・Jが私を選んでくれたのだと思います」(ケリー)


一方のスコットは、当時カナダに住んでいた。ベン役のキャスティングは難航したらしく、スコットに決まったのは最後の最後だったという。
「(オーディションを受けた頃)僕はトロントにある母のアパートに転がりこんでいたんだ。リビングルームのソファがベッド代わりさ。オーディション用のテープを先に送って、返事を待ってたんだ」(スコット)
テープでの演技が認められ、米国内で正式にオーディションを受けることになったスコット。しかし、米国のお隣カナダとはいえ、観光でもなく、留学でもない立場での入国は簡単ではなかった。
「(製作側は)僕を合法的に入国させなければならなかった。結局米国に入れたのは三日後だったよ」(スコット)
当時のガールフレンドのPコートを着てオーディションに臨んだというのが、なんともイケメンらしいエピソード。オーディションは無事終了、その夜J・J・エイブラムから夕食に誘われたのだとか。祝福のテーブルだったことは言うまでもない。


ケリーと初めて顔を合わせたのは、その数日後のこと。
「本読みで顔合わせしたんだよね。初対面で僕はケリーをミスキャストだと思った。だって、フェリシティはオタクな女の子と聞いていたからね。『Malibu Shores(原題)』のあの子がオタク役なんてありえないと驚いたんだ」(スコット)
その誤解は、スコットがケリーの演技の振り幅を知らなった故。その才能を信じて、オタク役にキャスティングしたJ・Jの審美眼も素晴らしいが、期待に応えたケリーもさすがである。
「『フェリシティの青春』は甘酸っぱい記憶として今も残っています。私たちは一緒に成長しました。あんなこと、こんなこと、たくさんの経験を皆で共有しました。本当にスペシャルな時間だったと思います」(ケリー)


「フェリシティの青春」が誕生して、27年。ケリー、スコット共に子供の親となった。青春が遠くになった分、その思い出は今一層光り輝いている。



<「variety.com」 6月13日>