LAW & ORDER

犯罪サスペンスの最高峰!メインシリーズがついに登場!

コラム

LAW & ORDERを語る

アメリカ警察ドラマの古典

 わたしは若いころ、アメリカのハードボイルド小説が好きで、ことに警察小説を好んで読んだものだ。当時日本では、そうしたジャンルの小説は、まだ市民権を得ていなかった。エド・マクベインの、87分署シリーズは人気があったが、わたしはそうした捜査小説よりもむしろ、一匹狼のはみだし刑事を主人公に据えた、W・P・マギヴァーンや、エド・レイシーの小説を愛読していた。
 その傾向は、テレビドラマでも同じで、若いころは『タイトロープ』や『シカゴ特捜隊M』『刑事コジャック』『FBI』などを、毎週見た覚えがある。しかし、いつの間にかテレビからアメリカのドラマそのものが消え、おとなの見る番組がなくなった。それとともに、テレビを見る機会が減ってしまった。
 ところが、ここ10年ほどのあいだにスカパーなど、映画やテレビドラマの専門チャンネルが増え、かつての楽しみがよみがえった。中でも、警察ものや刑事もの、さらに法廷ものが、いつでも見られるようになったのは、まことにありがたい。しかも、そのレベルの高さは驚くほどで、昔のドラマに比べ、長足の進歩を遂げている。
 ことに、わたしがここ数年よく見ているドラマは、『LAW&ORDER 性犯罪特捜班』である。もっとも、それが20年以上も続いた、ある人気番組からスピンアウトした作品だ、という事実を知らずにいた。今回、その本家本元の作品『LAW&ORDER』が、とうとう放映されることになった。1990年代以降の、警察ものや刑事ものの規範になったドラマだ、という。
 正直なところ、1990年に始まった第1シーズンから見たいところだが、当面は時代の変化も考慮に入れて、第15シーズンから放映開始となった。
 今後の展開が楽しみだ。

LAW & ORDERを語る②

スピンアウトの魅力

〈スピンアウト〉は、テレビドラマの世界でよく使われる言葉だが、正しい英語(?)では〈スピンオフ〉というらしい。しかし、語感からすれば〈スピンアウト〉の方が、ピンとくる気がする。
 これは、人気番組から一部のキャラクターを抜き出し、独立させて別個のシリーズを立ち上げたり、オリジナルの構成を保ちつつ、まったく別のキャラクターを立て、拠点を別の部署や都市に移して、新たなシリーズにしたりする、そういう手法を意味する。それ以外にも、二つの人気番組をドッキングさせ、一つのドラマを作る〈クロスオーバー〉という形式もある。どちらにせよ、オリジナルののドラマが人気番組でなければ、成立しない手法である。日本ではまだ数少ないが、アメリカでは今やこうした流れが、定着したといってもよい。
 中でも、『LAW & ORDER』は〈スピンアウト〉作品をいくつも生み出した、もっとも早い例に挙げられる。まず『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』と、同じく『クリミナル・インテント』があり、日本では二つともオリジナルより先に、放映された。ことに前者は、本国でもまだ継続放映中であり、わたしのお気に入りドラマの一つになっている。さらに、『トライアル・バイ・ジュリィ(陪審審理)』と、『LA』『UK(イギリス版)』の三作が、シリーズ化された。このうち『LA』は、本国で2010年から今年にかけて放映された、最新作である。
 この最新シリーズが、日本でもオリジナルの第15シーズンとほぼ並行して、10月から放映される。他のシリーズ同様、個性的な複数のキャラクターが、毎回ロサンゼルスを舞台にした、華やかな事件に取り組む。
これもまた、期待の新シリーズといえよう。

LAW & ORDERを語る③

アメリカの法と秩序

 _column03.jpg標題の〈LAW & ORDER>という言葉は、一種の定形句と考えていいだろう。

 アメリカでは、19世紀後半の西部開拓時代や、20世紀前半のギャング跳梁時代など、治安のいちじるしく乱れた時代があった。そこで、強く求められたのが〈LAW & ORDER〉、つまり〈法と秩序〉というわけだ。そのせいでもあるまいが、西部劇やギャング映画にはこの標題をつけたものが、たくさんある。
その中で、ウィリアム・R・バーネット原作の西部劇〈LAW & ORDER〉は、1932年、’40年、’53年の3回にわたって、映画化された。1回目は、ウォルター・ヒューストン、2回目はジョニー・マック・ブラウン、3回目はのちに大統領になった、ロナルド・レーガンが主演している。
この映画は、西部開拓史上もっとも著名なガンマンの一人、ワイアット・アープをモデルにした保安官を主人公に、〈OKコラルの決闘〉のてんまつを描いたもの。無法の町、アリゾナ準州のトゥームストンに主人公が乗り込み、町を牛耳る悪党どもをやっつけるという、〈LAW & ORDER〉を地で行くストーリーだ。
ちなみに、同じくこのアープをモデルにした、といわれるテレビ西部劇『ガンスモーク』は、アメリカ本国で’55年から’75年まで、20年間続いた。これは、シリーズもののテレビドラマの中で、最長記録を保持する番組だった。
35年間破られなかったこの記録を、’90年に始まった『LAW & ORDER』が破る可能性もあったのだが、これまた2010年に20シーズンで幕を閉じ、惜しくも更新はならなかった。
とはいえ、『ガンスモーク』と同様『LAW & ORDER』も、テレビドラマに一つの期を画した傑作シリーズとして、今後も高く評価され続けるだろう。

 

LAW & ORDERを語る④

事件の解決は、始まりにすぎない

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 ミステリーはおおむね、名探偵の快刀乱麻の推理により、事件が解決されて終わるのが、常だった。

 しかし、近年はそれに疑問を呈する議論が、行なわれ始めた。たとえば、法月綸太郎氏らによる、いわゆる『後期クイーン問題』の提起がある。名探偵エラリー・クイーンが、すべての手がかりをもとに解決した真相に、絶対間違いはないのか? 手がかりの中に、真犯人による偽情報が混入したり、クイーン自身が解釈を誤ったりする失敗が、絶無だと言い切れるのか? 法月氏は、クイーン作品を綿密に分析し、その可能性を検証してみせた。

 かつてだれかが、こんな趣旨のことを言った。

「腕力一点張りの、ハードボイルド派の探偵が、貧弱な証拠をもとに犯人を捕らえたとしても、ペリー・メイスン弁護士の手にかかったら、たちまち無罪放免になるだろう」

 長い間、ミステリーは真犯人(と目される人物)が指摘され、逮捕されたところで、終わりになった。しかし現実にはそのあと、へたをすると事件解決より長い期間をかけて、裁判が行なわれる。そこで判決が下されてはじめて、真に事件が解決された、といえるのだ。従来ミステリーが、その点に着目することは、ほとんどなかった。

 少なくともテレビドラマで、事件発生から捜査、犯人逮捕、取り調べから裁判まで、要するに事件の起承転結を克明に描く、オールインワン形式を導入したのは、『LAW&ORDER』が初めてではないだろうか。かつて、『ペリー・メイスン』がドラマ化され、法廷ものが脚光を浴びたことがあるが、リアリズムという点では、物足りなかった。

 その点、『LAW&ORDER』は事件の手続きを過不足なく描いており、パイオニアと呼ぶにふさわしい完成度を、示している。

 

 

LAW & ORDERを語る⑤

アメリカのTVドラマに タブーはない?!

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 日本のTVドラマは、ある意味では健全だが、その分突っ込みが足りない、と感じることが多い。つまりは、子供に見せても問題ないかわりに、毒にも薬にもならないドラマが多い、ということだ。
 その点、アメリカのドラマは、ここまでやるか、と感心するほど、シビアなテーマに踏み込んでいく。むろん、国民性の違いもあるだろうが、アメリカ社会が日本よりはるかに複雑で、さまざまな病理を抱えている、という事情にもよる。それにしても、わたしたちの目から見ればタブー、と思われるようなテーマを、どんどん取り上げる率直さには、心底驚かされる。
 たとえば『LAW & ORDER』でも、そうしたテーマを大胆に取り入れ、問題提起をする。人種問題など序の口で、宗教の対立から生まれる事件や、9・11事件を含むテロ関連の事件、異常性犯罪や近親相姦、幼児虐待事件と、その深さと広がりは、とどまるところを知らない。そこだけに注目すると、刺激を求めるキワモノと誤解されがちだが、決してそんなことはない。
 こうした番組が増えたのは、『LAW & ORDER』がスタートした、1990年以降のことである。それをきっかけに、この種の番組は単なる刑事ドラマ、法廷ドラマの枠を超え、いわゆる社会派ドラマとして、認知されるようになった。
 日本の視聴者にすれば、「いくらなんでもここまでは......」とか、「日本ではありえないよな......」と受け取られがちだが、人間心理の暗部を描くという点では、決して無縁の物語とは言い切れない。21世紀の今日、コンピュータ社会が成熟しつつある日本でも、似たような問題や事件が、多発しているのだ。
 '90年代のアメリカで、すでにこれほどのドラマが製作されていたことに、わたしは驚きを禁じえない。

 

LAW & ORDERを語る⑥

TVドラマはキャラクターが勝負

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 TVドラマの人気は、登場人物のキャラクターの魅力に負うところが、非常に大きい。小説と違って、映像作品ではまず人物の設定と、それを演じる俳優の個性をうまく融合させ、魅力的なキャラクターを作り上げることが、要求される。
『LAW & ORDER』が、二十年にわたって長続きした理由は、斬新なドラマ構成とともに、その点をみごとにクリアしたからだ、と思う。
 アメリカでは、伝統的に映画俳優とテレビ俳優のあいだに、歴然とした格差がある。あのクリント・イーストウッドでさえ、マカロニウエスタンでスターになりながら、テレビの『ローハイド』出身という理由で、ハリウッドに受け入れられるまでに、なにがしかの時間がかかった。
 そうした事情で、一流の映画俳優はTVドラマに、めったに顔を出さない。いきおい、出演するのはハリウッドでも脇役クラスか、テレビ専門の俳優になる。とはいえ、個性的な演技派の俳優も多く、決して映画に見劣りしない。ちなみに『LAW & ORDER』では、捜査主任の女警部補アニタ・ヴァン・ビューレンを演じるS・エパサ・マーカーソンと、地方検事補から最後は地方検事に昇進する、ジャック・マッコイ役のサム・ウォーターストンが、狂言回しを務める。二人は、シリーズの最初期からシーズン終了まで、それぞれ〈捜査〉と〈裁判〉を指揮し続ける。地味ながらも、シリーズの顔といってよい存在だ。
 彼らの部下は、シリーズの進行とともにときどき交替するが、その俳優たちも個性にあふれている。その中でわたしのごひいきは、シーズン10(1999年9月)から登場する、刑事役のジェシー・L・マーティンだ。熱血漢の黒人刑事で、シーズンごとに相棒を替えながら、シーズン18の半ば(2008年4月)までがんばったのは、偉かった。

 

 

LAW & ORDERを語る⑦

終わりなき犯罪

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 さしもの人気番組も、アメリカ本国では二十年をもって、終了した。しかし厳密な意味では、まだ終わっていない。
 というのは、本家本元の『LAW & ORDER』からスピンオフした、いくつかのドラマが継続中だし、リピート放映もあるからだ。わたしなどは、へたをすると前に見たものを、それと知らずにもう一度見る、ということも少なくない。にもかかわらず、退屈せずに見られるのだから、このシリーズの底力はすごい。近いところでは、最新のスピンオフ作品、『LAW & ORDER:LA』もお気に入りで、毎回見ている。せっかく、キャラクターにもなじんだのに、1シーズンで終わってしまうのは、いかにも残念だ。
 これら一連のシリーズは、キャラクターの魅力もさることながら、構成が実に巧みに作られている。場面転換のテンポが速く、ストーリーが少しも停滞しない。正味四十五分前後の短い時間に、盛りだくさんのエピソードが詰め込まれ、それらが最後にきちんと解決される構成は、あきれるほどの手際のよさだ。何より、一話完結というところに、驚かされる。よほど、丹念に脚本を練り上げないと、こうはいかない。むろん、複数の脚本家が関わっていなければ、これだけ緊密なドラマを継続的に、作り続けることはできまい。脚本家の層の厚さを、つくづく感じさせられる。
 いよいよ、シーズン1からの放映が、スタートするという。時代とともに、手口は多彩になったが、犯罪に終わりはない。罪を犯す人間の、心理心情はおそらく今も昔も、変わらないだろう。ただ当時は、ケータイなどの電子機器が、まださほど普及していなかっただけに、犯罪も今よりはるかに人間的だったのではないか。
 そのあたりを見比べるのも、楽しみの一つだ。

 

逢坂 剛(おうさか・ごう)
1943年、東京生まれ。中央大学法学部卒業後、博報堂に入社。
80年、『暗殺者グラナダに死す』で第19回オール讀物推理小説新人賞受賞。
87年、『カディスの赤い星』で第96回直木賞、第40回日本推理作家協会賞受賞。
97年より執筆に専念。著書に『燃える地の果てに』『デズデモーナの不貞』
「禿鷹」シリーズ、「重蔵始末」シリーズ、『斜影はるかな国』『兇弾』
『暗殺者の森』などがある。