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池田憲章の海外TVシリーズ 検証ファイルSPECIAL 「NYPDブルー」対談完全収録版
ゲスト:岩井田雅行さん(映画・海外TVライター)
およそ40分間に渡って行われた対談を完全版で再録しました!
■「ヒル・ストリート・ブルース」のチームによる「新たな」ドラマ
池田 検証ファイル「NYPDブルー」ですが、きょうは外国テレビに詳しい編集者の岩井田雅行さんをゲストにお招きしています。岩井田さん、よろしくお願いいたします。
岩井田 よろしくお願いします。
池田 岩井田さん、「NYPDブルー」という90年代を代表するポリスドラマシリーズがいよいよ始まるわけですが。この「NYPDブルー」の持つ魅力についてお聞かせください。
岩井田 本当に待ちに待ったというか、待望の放送です。とにかく90年代のアメリカのテレビガイドやエンターテインメントの雑誌を見ると、「NYPDブルー」が出なかったときはないというほど、人気も評価もナンバー1と言っていいと思います。
池田 「NYPDブルー」というのはニューヨーク・ポリス・デパートメントの略称で、そこにブルーという警察の色をくっつけて、ある種、「ヒル・ストリート・ブルース」の90年代版として始まるわけです。これは「ヒル・ストリート・ブルース」のスティーブン・ボチコが企画した作品なんですけれど、スタッフ的にはどういう配置の作品なのですか。
岩井田 基本的にはスティーブン・ボチコ・チームというか、「ヒル・ストリート・ブルース」で活躍していた人たちがそのまま再結集してつくった、90年代の新しいタイプの刑事ドラマです。ただ、今までの刑事ドラマとはちょっと違うんです。純粋に刑事ドラマと言ったときにみんながイメージするのとは、大分違うと思うんです。だからこそ画期的であり、人気もあり、評価も高かったんだと思います。
池田 いわゆる「ヒル・ストリート・ブルース」みたいな群衆劇をやった後で、2人の刑事に焦点を絞った作品ですよね。どちらかというと逆現象というか。最初に僕はそれが意外だったのですが、実際に見てみるとすごくつくり方が巧妙な印象を受けます。
岩井田 確かにそのとおりです。僕も最初に見たときにびっくりしたのは、要するに「ヒル・ストリート・ブルース」みたいにレギュラーが何十人もいてだれが主役かわからなくて、キャラクターを見分けるまでに時間がかかるような作品だとばかり思っていたんです。ところが、これはジョン・ケリーとシポウィッツという2人の刑事の話で、要するに刑事のコンビものなんです。昔のよくある刑事ものというと、とにかく2人のコンビものというのはたくさんあるんですけれど、その形を踏襲していながら全く新しいスタイルをつくったということです。
■監督、グレゴリー・ホブリットが作り出した「NYPDブルー」のスタイル
池田 ジャンピングカットというのでしょうか、撮影スタイルというか、画面の構成が非常に評判を呼んだシリーズです。この監督さんはどういう人なのですか。
岩井田 グレゴリー・ホブリットという人です。この人は「ヒル・ストリート・ブルース」のときからボチコとずっとコンビを組んでいて、もともとはプロデューサーだった人なんです。それが「ヒル・ストリート・ブルース」のときに自分で監督も始めて、結局はプロデューサーと演出を兼ねて「ヒル・ストリート・ブルース」のメインになった人なんです。以後、ボチコがつくっている「LAロー」とか「男の証言 女の証言」というシリーズなどの第1話、パイロット版というと、全部このホブリットがやっているんです。
そういう意味で今回の「NYPDブルー」も最初の3話はホブリットが演出していて、ここで今までとちょっと違った斬新なスタイルとホブリットが生み出したというか、つくり出したんです。それが手持ちカメラふうで画面が固定しないというか、ちょっとドキュメンタリータッチというか。現場にテレビ局のカメラマンが駆けつけて、どこをねらったいいのかわからないという感じでカメラを構えながら事件を追っていくという感じで撮るんです。
池田 捜査現場などでも、一体どこにケリーがいるんだ、と。そこにケリーがさまよってきてもケリーにカメラが近寄らないというあたりが、非常にドライなカメラワークですね。
岩井田 とにかく、ここに至って、ホブリットの演出がすごくジャンプアップしたというか、自分で「これだ!」というスタイルができたんでしょう。ですから、「NYPDブルー」の最初のスタイルというのはホブリットがつくったんですけれども、人気が出てきてホブリットはこのシリーズを降り、映画界に行くわけです。現在では映画監督として活躍しています。
この「NYPDブルー」の後に、最初につくったのが、リチャード・ギアとエドワード・ノートンの「真実の行方」です。裁判ものというのでしょうか。
池田 心理描写がすごくうまい人ですね。
岩井田 その後、「悪魔を憐れむ歌」、去年は「オーロラの彼方へ」。もう3本撮っていて、今、4本目をブルース・ウィルス主演でサスペンスドラマをつくっています。
■スティーブン・ボチコが「NYPDブルー」で描く"普通"の刑事像
池田 そうなんですか。シナリオのほうはいかがですか。
岩井田 ボチコというのは、もちろん、脚本家出身ですので、最初の企画などは自分で脚本を書いていました。もちろん、第1話の脚本はボチコと、「ヒル・ストリート・ブルース」のときから長年コンビを組んでいるデビッド・ミルチ。この2人が最初の脚本を書いて、最初の基本ストーリーというのはこの2人がつくっています。
池田 同時代ですと、スーパーチャンネルで放送している「ホミサイド/殺人捜査課」あります。「ホミサイド」は意外と事件の謎を追うというか、一体犯人はだれなんだというような意外な展開があって、謎探しみたいな部分でも大きい事件があるのですが、「NYPDブルー」は質が違う感じですね。
岩井田 確かに、「ホミサイド」とはよく比較されます。ほとんど放送時期が同じですし、どちらも90年代を代表する刑事ドラマと言われているのですが、「ホミサイド」のほうが言ってみれば刑事サスペンスというか、事件が重要なのです。犯人はだれだとか、この動機は何だとか、犯人がなぜこういうことをやったかという。それを刑事たちが捜査していって、事件そのものにテーマがあるわけです。ところが、「NYPDブルー」というのは主人公2人の刑事に集約されるように、刑事を職業に選んだ人たちのドラマなのです。
池田 わかります。ワーカホリックのニューヨーカーの刑事ドラマみたいな感じがありますよね。別に一つ一つの事件で勝利感や満足感ではなくて、きょうの事件を解決して、とりあえず何とか片をつけることができたといって、自分のプライドだけを持って夕やみに消えていくというのでしょうか。
岩井田 だから、「NYPDブルー」の場合は事件そのものがそんなに複雑ではないし、事件にミステリーや謎というのがあまりないのです。むしろ、起こる事件というのは、私たちがいろいろなドラマで見るような、ごく平凡な事件です。その事件を解決して、あるいはその事件に出会って刑事たちがどういう反応をするか。今、池田さんがおっしゃったように、終わった後に家に帰ってどうするか。そういう彼らのキャラクターのつくり方というか、ふだんの生活ドラマの部分が非常によく描かれているのです。
池田 ジョン・ケリーが事件を解決して、ある寂しさがあって、結局1人で部屋に帰りたくないといって、別れた元奥さんのところへ行って「きょうは1人で寝たくないんだ」と言うところの哀惜感。もう一つ、「ER」というライバル番組があります。「ER」というのは人の命を懸けて、まさに自分で命を奪還して患者を救ったり奪われて死んだりする。よっぽど「ER」のほうがタフなのですが、「NYPDブルー」の人物群は非常に繊細なものを隠し持っている都会人のにおいがあります。
岩井田 「NYPDブルー」は90年代に一番評価が高い番組といっていいと思います。その理由は、キャラクターの描き方、掘り下げ方が非常にすばらしいからなんです。単に類型的な刑事はこんなもんだとか、事件が終わればそれでいいということではなくて、終わった後、いろいろと引きずるものがあるというところまで、非常に丁寧に描いていく。要するに、見終わった後、彼らが架空の人物に思えないのです。
池田 同じ町に住んでいる人物に思えてくるわけですね。
岩井田 その人間像、キャラクターのつくり方が非常にレベルが高い。その意味で評価されているわけです。普通のテレビドラマでここまでキャラクターをちゃんとつくっていくということは、あまりありません。やろうとしてもできないというのでしょうか。
■アメリカ人に愛されるベテラン刑事 シポウィッツ
池田 主人公の1人である、デニス・フランスが演じるシポウィッツというかなりベテラン刑事がいます。彼も、例えば、「ヒル・ストリート・ブルース」のバンツという非常に印象的な、ある種、悪も辞さないダーティーデカ、「手柄を立てればいいんだろう」「どうせあいつらは悪人だ」という彼と比べたときに、心のひだが非常に深い。単なるダーティーなデカではないですよね。
岩井田 ダーティーというよりは、あれが普通の人間なんです。
池田 そうですね。タフなだけなんですよね。
岩井田 だから、犯人を個人的に恨んだり、あるいは、法律ではこうなっているけれど、実は裏で、本当は、感情的にはやりたいというところを、非常に素直に描いてしまっています。だから、警官といっても聖人であるわけではないし、全部きれいごとではない。きちんと法を守っているわけじゃないというところが、非常に細かいところでこの作品にはよく描かれています。
池田 上司の覚えが悪い役で。警察からはみ出してしまうわけです。
岩井田 デニス・フランツはこれでエミー賞を4回受賞しています。スタートしたときからことしまで、毎年、エミー賞の主演男優賞にノミネートされているのです。そのうち4回も取っているというのは、いかにデニス・フランツが演じているシポウィッツというキャラクターがよくできているか。いかにアメリカ人がこのキャラクターを好いているか。どれだけみんなが支持して、人気があって、彼の演技力を評価しているかというのが、それでよくわかると思います。
池田 彼が「警察に入って17年だ」と1話で言うシーンがあります。これは93年からなので、(計算すると1976年になる。)偶然なのですが、実は1973年の「ポリス・ストーリー」「刑事コジャック」「刑事コロンボ」といった、いわゆるポリスドラマの黄金時代の警官像である、正義を信じ、町にどんな汚濁があっても何とかその中で生き抜こうとする人間臭い警官が、ロサンゼルス、ニューヨークで立ち上がった時代です。それが、もうそろそろそれだけではおれは満たされないみたいなキャラクターになっているあたりが、よくできているなと感じます。偶然なんでしょうけれど。デニス・フランツは決して二枚目ではない、単なる脇役でもなく、本当に作品に出会うことで光り輝いたキャラクターという感じがよく出ているなと思います。もう1人の、ジョン・ケリーのほうはいかがですか。
岩井田 ジョン・ケリーのほうはそれに比べると、ちょっと格好よすぎますよね。
池田 奥さんと離婚したということはあるにしても、本当にいいやつですよね。
岩井田 ただ、ジョン・ケリーのほうも、最初の第1話からいきなり奥さんと離婚するというところから、もう2人の仲はだめだというところから始まっています。それだけ見ても、この作品が、いわゆる、警官はちゃんとした家庭を持って子供がいてということではないわけです。
■全米で最もセクシーな男性俳優?!登場
池田 「NYPDブルー」というと、よく、アメリカで一番セクシーな男性俳優という形で選ばれたということが話題で出ます。ジョン・ケリー自体は、第1シーズンで降板という形なんですか。
岩井田 ジョン・ケリーを演じていたデビッド・カルーソは、やはり映画に行きたかったらしいのです。それまでの出演作を見ても、かなり映画に出ている人なのです。昔を言えば、「ヒル・ストリート・ブルース」にもレギュラーで一時期出ていました。警官の役で。このジョン・ケリーの役で評価され、おれはやはり映画に行くということで、2シーズン目の頭にちょっと出ているのですが、1シーズンで降りてしまいました。
2人目は「LAロー」に出ていたジミー・スミッツが、ジョン・ケリーに代わって新しいボブというキャラクターで入ってきます。実は、どちらかというと、彼のほうが人気が出てしまいました。
池田 そうですよね。「ER」とはいわゆる女性人気でもしのぎを削ったわけですね。
岩井田 まさにそのとおりです。「ER」のジョージ・クルーニーというのが全米の女性を熱狂させたセクシースターです。人気ナンバー1と日本では伝わっているのですが、実は彼が一番ではありませんでした。同じ時期に向こうのテレビガイド誌が、全米の人たちに人気調査をしました。調査したところ、1位になったのが、実はこの「NYPDブルー」のジミー・スミッツなのです。彼がアメリカで女性ファンの憧れのスターナンバー1だったのです。
要するに、90年代で映画もテレビも含めて、全米で1番支持されたスターというのが、ジミー・スミッツなのです。そして、2番目がジョージ・クルーニーだったんです。ただ、「NYPDブルー」が日本で放送されていなかったこともあって、日本ではジョージ・クルーニーのほうが持ち上げられてしまっているのですが、いかにジミー・スミッツの人気がすごかったかということです。
その一つの証明が、これが終わって、「スターウォーズ」の新作、2作目と3作目にジミー・スミッツが出ています。彼もこれが終わって映画界に行き、映画スターとして、かなり高い位置からスタートしているんです。
池田 でも、もちろん、「スパイ大作戦」のピーター・グレイブスという特別な例はありますけれど、このようにキャラクターが降板して、新しい2代目の主人公から人気が出るということは、ポリスドラマではあまり聞いたことがありません。
岩井田 確かにないですね。どちらかというと、最初に演じたキャラクター、俳優がすごくよくて、その人が降りた後に2番目で入った人というのは、やはりちょっと見劣りしてしまう。それが普通です。しかし、この作品の場合は逆です。
池田 ボチコもミルチもそれなりにいいキャラクターにしようということで、そこでもう1回エネルギーを使ったのでしょうけれど。
岩井田 前に池田さんもおっしゃっていましたが、ボチコというのは、昔1回使った俳優さんをよく使います。ジミー・スミッツの起用についても、「LAロー」でビクトル・シフエンテスという、なかなかユニークな弁護士の役をやっていましたから、そういうことが縁で選ばれたと思います。しかし、これはだれもが予想しなかったぐらいよかったということだと思います。
■脚本家スティーブン・ギャガン
池田 ヒョウタンからコマ以上のものだったわけですね。役者で見ても、本当に実力派が多いいですね。上司役の黒人のデカ長も、ある種、このキャラクターたちとなれ合わない。なれ合わないというところが、非常に「NYPDブルー」は特殊な感じがします。
岩井田 そもそもボチコが「ヒル・ストリート・ブルース」でやろうとしたのは、ソープドラマのスタイルを借りて、今までと違った等身大のリアルな刑事ドラマをつくろうというところから始まったわけです。今から考えると「NYPDブルー」より「ヒル・ストリート・ブルース」のほうがまだちょっと甘いといえば甘いのですが、ずっとつくってくる間に、どんどんボチコが現実的に、視聴者と距離のないというキャラクターをつくろうとしています。言ってみれば、映画と遜色がない。
実際にこの脚本を書いているスティーブン・ギャガンという人がエミー賞を取っています。この人はことし、スティーブン・ソダーバーグの「トラフィック」という映画の脚本を書いています。それでアカデミー賞の脚本賞にノミネート、ゴールデングローブ賞で脚本賞を受賞しました。まさに「トラフィック」で書いた脚本というのが、書き方やスタイルという点で「NYPDブルー」の脚本と同じなのです。ですから、「トラフィック」という映画を見て、あの脚本に関心を持った人は是非見てほしいと思います。あれと同じことをテレビでやっているのです。
池田 せりふなども、ものすごく磨き上げられています。普通、こういう作品だと、例えばデニス・フランツはベテラン刑事でおやっさん、ジョン・ケリーのほうは、それなりに育ってはきたのだけれど、まだまだこいつは青いというところなんだけれど、そういう類型に落ちていません。
岩井田 これだけ評価が高いというのは、とにかく見ればわかります。そのおもしろさというのは、やはり、今までになかったものですから、ここでいくら説明しても……。百聞は一見に如かずで、とにかく見てほしいと思います。見て、「え! こんなテレビシリーズが90年代にあったんだ!」と感じてほしいと思います。
■この先のアメリカテレビ界は?
池田 「ホミサイド」だと、キャラクターが事件とつき合ううちに疲れていって、ある種、内面が揺らぎます。マンチだけはそこを軽々と乗り越えていく。そこが、あのキャラクターのおもしろさですが。しかし、「NYPDブルー」にはタフという言葉があの中によく出てくるのですが、しのいでいく、それに負けない何かがあります。それがパートナーであり、自分がプロフェッショナルだ、おれは現代をちゃんと生きているという心の矜持であるような気がします。ニューヨークを舞台にしているというのは、僕はそういうことなのかなと思うことがあります。
岩井田 確かにそうですね。あとは、根っから好きなんでしょう。刑事という職業が。ワークホリッカーでもあるし、刑事を選んだ人たちがいろんな事件で悩んだり傷害にぶつかるけれども、それを乗り越えていくというのは、やはり好きだということと仲間がいるということだと思います。
池田 デニス・フランツなどは、ほとんどノーメイクなんじゃないかというぐらい、化粧気がありません。シャツなどはバリッとしたものを着ているのですが。先ほど、岩井田さんはドキュメンタリーみたいだという言い方をしたのですが、90年代の空気が本当にカップリングされている。テレビドラマというのはこういう方向に行くのだなということを、改めて見て思います。
岩井田 それは僕も全く予想しなかったのです。80年代の「ヒル・ストリート・ブルース」からドラマのつくり方というのはかなり変わってきましたけれど、それが同じボチコの力で、90年代に入ってこういう作品が生まれるとは予想もしなかった。この先、アメリカのテレビ界はどうなっていくのでしょうか。
池田 そうですね。やはり、「NYPDブルー」と「ER」が切り開いたのが、今のアメリカのテレビドラマのおもしろさですから。
岩井田 まさに90年代、何か1本作品を挙げろと言われたら、やはり「NYPDブルー」です。「ER」も確かにすごいのですが。あまりけなしてはいけないし、けなす気はないのですが、「ER」と「NYPDブルー」を比較した場合、やはり、「NYPDブルー」はすべてが斬新、すべてが新しいと言っていい。「ER」は予想できるというか。
池田 常に命が懸かったドラマだから、ドラマをつくりやすいというところがあると思います。僕は、殺人課ではなくて、麻薬事件にも出れば傷害事件にも出る、有名人をボディーガードしろというようなつまらない事件まで、この主人公たちがやっていて、ある種、ニューヨークの本当に15分署という、一分署の、それなりに腕のある刑事たちのスケッチを見ているような独特の香りを感じます。
岩井田 まさに独特です。この「NYPDブルー」のスタイルというのは、今まで全くなかったと言っていいし、類似番組が、実は生まれそうで生まれてないのです。確かに、90年代は「ER」や「ホミサイド」というようないろいろな作品が出ています。「ER」や「ホミサイド」というのは、ある意味、今までのいろいろな作品の延長線上にあって、たくさん同じジャンルがある中からよくできた作品として人気もあるし評価もあります。しかし、「NYPDブルー」というのは全く独自のスタイルをつくって、それをほかの人がまねしようとしてもできないというところが、やはりすごいところだと思います。
■テーマ曲作曲家マイク・ポスト
池田 マイク・ポストの音楽にしても、彼のインタビューを読むと、最初にボチコがやって来て、92年になってこれから何かが変わる、と。それをテレビドラマにしたい、と。ドラムがバックで常に鳴っているような、そういう作品をつくりたいんだ、と。ミルチがまたやって来て、その作品は地下鉄の映像がインサートされるんだよ、マンハッタンを舞台にした話なんだと言った。1話、2話、3話を見たときに、このジャンピングカットを見たときに、ボチコが「ドラム」と言った、現代人の時代のドラムであり、現代を生きている人間のハートビートのリズムをバックにしたいというのが、マイク・ポストの中で見えてきて、自分でもここまで行けるかと思うぐらい、何曲か、非常に思い出のある曲を彼は書いているようです。音楽一つでも、「ヒル・ストリート・ブルース」の、ある種の哀歌、町の悲しみみたいなものと違って、現代を生きていく、喜びも悲しみも楽しさも、すべて入っているあのオープニングは非常に象徴的な感じがあります。テレビを超えて、映画でもできないことを毎週テレビで見ているという喜びを感じる作品です。
■TVドラマと映画
岩井田 やはり、映画を見ている人は、よくテレビのほうが安っぽいと言うのですが、本当に90年代に入ってアメリカのテレビシリーズに関しては、そう言えないのです。よくできているものは、毎週毎週積み重ねていくことで、映画と違ったおもしろさ、映画と違ったスタイル、映画には描けないことを描く。深みや奥に突っ込んでいくというような、繰り返しの積み重ねで深いテーマを追求していくことを、テレビならできるということを証明したのです。
池田 最近のラブストーリーの「ユー・ガット・メール」も、どちらかというとテレビふうな感じがします。僕は、映画というよりは、こういうラインをよく見つけたなと思いました。今のテレビのコメディーというのは、ああいうテーストを毎週やっているわけじゃないですか。だから、逆に、今、アメリカのテレビに酸素を送り続けているのは、単に俳優を送り込むだけではないと思います。僕は、今、ドラマもコメディーも含めてテレビが描こうとしていることは、本当に僕たちの中にある、「あるある! そういうことあるよ!」というドラマをスケッチしていると思います。テレビのほうがすごいのではないかと思うことがあります。
岩井田 それは最近よく言われています。最近のハリウッド映画のだめなところというのは、要するにCGを使いすぎているところです。CGに頼ってしまっているために、今までできなかったシーンが簡単にできるのです。SF的なシーンはもちろんなのですが、カーアクションにしても、派手な爆発シーンにしても、CGのおかげですごいことができるので、その分、映画のシナリオがおろそかになっている。テレビの場合はそこまでお金をかけられないから、逆にシナリオで頑張ろうということです。
その辺、スティーブン・ボチコやデビッド・E・ケリーが、非常にうまい脚本をたくさん書き、それらが90年代のドラマに反映されてきたおかげで、脚本家たちがみんな、とにかくせりふのうまさや、どうやってキャラクターをつくっていくか、どうやって物語をつくっていくかというところに非常に力を入れるようになりました。映画がCGに頼って見せる派手さを追求していくのに反比例して、テレビがシナリオのおもしろさを追求し始めているのです。だから、そういう意味では、脚本のおもしろさを見るのは、むしろ最近は、映画よりテレビのほうがおもしろくなっているのです。
■時代を代表する刑事ドラマ
池田 なるほど。この「NYPDブルー」というのは10年に1本、ひょっとしたら何十年に1本の、時代を旋回させた作品ですので、是非、そのおもしろさを1本1本味わっていただきたいと思います。
岩井田 90年代半ばに、一度、「テレビガイド」が、テレビ創生期から現在までの放送された作品の中で、各ジャンルでベストワンは何かというのを募集しました。「ヒル・ストリート・ブルース」が刑事ドラマのナンバー1になったのですが、今、同じことをやったら、「NYPDブルー」ではないかと思うのです。要するに、オールタイム・ベスト。そのベスト1といったら、「NYPDブルー」と言って間違いないと思います。
池田 もう制作して10年になるわけですが、今見ても、現代の香りがするというあたりに、そういう評価があるところだと思います。
岩井田 本当に10年に1本どころか半世紀に1本の傑作だと思います。
■テーマは「刑事たち」自身で事件に意外性のない「NYPDブルー」
池田 岩井田さん、「NYPDブルー」のいろいろな魅力があるわけですが、ジョン・ケリーとシポウィッツという2人を演じる俳優の魅力はどうですか。
岩井田 これは90年代のデカコンビものということで、ボケとツッコミではないのですが、シポウィッツのほうが暴走型で、ケリーのほうが落ちついているという感じです。体型も違いますし、顔も雰囲気も違いますから、そういう意味では本当に典型的な刑事コンビものです。だけど、それまでの刑事コンビものとちょっと違うというのは、彼らが派手に活躍する作品ではありません。
池田 銃撃戦があるわけでもないし。
岩井田 それに、この作品は「ホミサイド」と違って、ミステリーや謎解き、サスペンスという部分が薄いのです。「ホミサイド」はタイトルが「殺人捜査課」というように、殺人課の事件がテーマで、扱う事件そのものがテーマなのです。
池田 いわゆる社会性のある、犯人がどういう人物なのかというようなことですね。日本でいうと、昔の「7人の刑事」とか「特捜最前線」のような、実は犯人はこういうあれで、ただの少女だったはずなのに殺人犯とか。そこに社会の醜さがというようなことが、意外と「ホミサイド」にはあります。
岩井田 そういう意味では「ホミサイド」というのは正統派の刑事サスペンスドラマだと思います。ボルチモアという場所も非常にユニークですし、その雰囲気も出ていますし、その中で捜査する刑事たち一人一人もよく描かれています。あれはあれで刑事ドラマとしては傑作だと思います。
「NYPDブルー」場合、特殊だと思うのは、意外と事件性がないというところなのです。刑事が主役でも。だから、刑事ドラマと呼んでいいのかというところも、ちょっとあるのです。
池田 たった2人なのに、非常に現代のにおいを常に感じます。しかも、今までニューヨークというと、非常に暑いとか、冬の蒸気が道から出ているような、「刑事コジャック」などでよく出た描写があります。しかし、僕は「NYPDブルー」を見ていて、常に初夏というか、秋という印象を受けました。非常に空気が乾いていて過ごしやすいというか。よく、シポウィッツが背広を脱いで肩に掛けてネクタイ一丁で出てくるところなども、非常にスマートな感じがしました。追いかける事件は事件なのだけれど、それを追いかけていく2人が何を思っているかというのが見たくなるという感じです。
岩井田 ずっと見ていくと、期待が事件にいかないのです。今度はどんな事件が起きて、どんな犯人が出てくるのだろうというのではなくて、今度この2人は何をやるんだろうということです。こういう事件が起きたらどういう反応をするだろうとか。特にシポウィッツのほうは感情がむき出しになるタイプです。頭にくるとそのまま暴走しちゃうタイプですから、彼にかみつくような悪人が出てくると、見ているほうは、シポウィッツが何をしでかすかという期待感もある。また、ケリーのほうがそれをどう抑えるか、それをどう冷静に見て、彼をとめながら事件を解決していくかということです。だから、やはり2人の魅力に集約してしまうのでしょうね。
■デカ長になれなかったコジャック?
池田 ケリーは28歳で刑事に抜擢されたという、ある種、エリートのできるやつという感じで、デニス・フランツのほうは、本当に現場の一警官から、たたき上げてたたき上げて、抑えられても抑えられても、逮捕件数が多くて立ち上がってきた刑事です。
岩井田 見ている人でそれぞれ感情移入する、どちらの主人公がいいかという好みはあると思いますが、アメリカ人から見ると、デニス・フランツみたいに感情を素直に出すというほうがアメリカ人好みなのだと思います。
池田 実は、あれはいないんですよね。アメリカ人の組織の中ではできなことです。僕は、デニス・フランツがあの中で17年といって、73年から警官になった設定だと、デカ長になれなかったコジャックを思い浮かべます。コジャックも腹に一物持っていて、相当組織とは闘ってきた男です。ただ、幸い、コジャックにはオヤジさんという理解できる上司がいたのですが、そういうものに恵まれなくて平デカというデニス・フランツの苦み。そうしたときに、ワーカホリックのニューヨーカーが何を思うのかというのは、実はアメリカ人には全員理解できるのではないでしょうか。「おれにはわかるぞ、おまえの気持ちが!」というような。そのあたりがおもしろいですね。
岩井田 それはまさに池田さんが言ったように、70年代だとコジャックはすごく人間臭いいいキャラクターだというのですが、90年代の今、「NYPDブルー」を見てしまうと、コジャックはちょっとうそっぽいスーパーヒーローなのです。やはり完全無欠なヒーローなのです。刑事や私立探偵という人たちが完全無欠なヒーローではなくて、1枚1枚皮をはがしていって、普通の僕たちと同じ人間に近づいてきているのです。アメリカのドラマ自体がそうなってきている。まさに「NYPDブルー」というのは、刑事は格好いい、スーパーマンだというのを全部ひっぺがしてしまい、隣にいるおじさんにしてしまっているのです。
池田 有能だけれど、普通の人なのですね。
岩井田 その部分の描き方が非常によくできているのです。
池田 出だしで、デニス・フランツがアルコール中毒ではありませんが、干されて、腐って、昼間から酒を飲んでいるシーンがあります。おかしいのは、カトリックバー。カトリックバーというのもすごいと思うのですが、そういう安くお酒を出してくれる場所があるのでしょうね。本当にあるのかどうかは知りませんが。実はそういう敬虔なカトリック信仰を持っていて、しかも事件の解決のときに犯人のお母さんに「教会へ行っていますか」と言うと「当然行っているわよ」と。自分の母親の世代がどうアメリカで生きているのかということをデニス・フランツは知っている。そうして、「神に聞きなさい」と言う。「神にあなたを聞きなさい」というような旧世代のにおいを、意外とカラッと見せるキャラクターにしてあるあたりが、僕はお手柄だと思います。
あれは、「ヒル・ストリート・ブルース」のバンツのような嫌なデカのようにもできるのだけれど、実は、デニス・フランツは一癖も二癖もあるのだけれど、「あれっ?」と思わせるキャラクターです。
岩井田 まさにそのとおりです。要するに、主人公は2人ともいいやつなんです。本質は本当にいいやつで、ちゃんと正義を守るし、弱い者の味方なのです。だからといって、ふだんの生活が全部聖人君主みたいというのは、やはりうそなのです。そういう人でも酒を飲んで酔っぱらうし、愚痴もこぼす。ときには腹が立って物を蹴飛ばす。そういうキャラクターにできているわけです。今、池田さんのおっしゃった教会にしても、後のほうのエピソードで、神父が男を買ったあげくに殺人を犯すというエピソードがあるのです。要するに、神父だから立派な人だというわけではないエピソードも、ちゃんとつくられているのです。
池田 なるほど。別にそんなのに出会っても、この2人は鼻で笑うわけですね。ニューヨークに住んでいるわけですから、そんなことで驚くタマじゃないわけですね。
岩井田 そういう話が、「ホミサイド」だったら、そういうエピソードが2回から3回続いて、最後に意外な犯人像で出てくると思います。それはそれでおもしろいつくり方なのですが、「NYPDブルー」の場合、そういうことは1回で終わってしまいます。サラッと終わってしまって、神父が犯人でも、そういうこともあるよね、と。それが今のアメリカだし、今のニューヨークだし、ニューヨークなら何でもあり。そんなことを一々気にしていたらやっていられない。
■9O年代以降の代表的刑事ドラマ「NYPDブルー」「ホミサイド」「ロー&オーダー」
池田 そういうストーリーが、逆に10年間続いて、しかも毎年エミー賞の主演男優賞候補にもなる、監督賞、作品賞は毎年ノミネートされるというのは、いかにシナリオ、ストーリーにエネルギーをかけているかということです。
岩井田 シナリオのつくり方は、ボチコが「ヒル・ストリート・ブルース」のときに、1人で脚本を書くのは限界があるからということで、ボチコやデビッド・ミルチといったメインのプロデューサーがアウトラインを書いて、その周りに何人かの脚本家のグループがいて、その人たちが共同で書いていくわけです。みんなで意見を言い合ってつくっていくというスタイルがずっと生かされています。やはり、1人のアイデア、1人だけの力では生まれないでしょう。
池田 そこが「ホミサイド」と好対照です。「ホミサイド」というのは、ジェームス・ヨシムラ。最終シーズンに至っては、全話、プロデューサーが1本交代で書いていく。良質のポリスミステリーというか、60分間目を離さない魅力があるわけですけれど、ある種、現代のニューヨークを活写しようとしたときに、1人ではなくて何人かでというあたりが、なるほどな、と思います。
岩井田 ただ、アウトラインはボチコがつくっています。大まかな、基本的なドラマの進む方向というのは、ボチコがつくっていると思います。
池田 90年代以降のテレビミステリーの作品では「ロー&オーダー」という作品があります。これは「ホミサイド」とクロスオーバーしていて、「ロー&オーダー」で前編をやり、「ホミサイド」を後編でやるというイベント作品でも評判をとりました。1993年から始まる、「NYPDブルー」にとっては兄貴分の作品です。その「ロー&オーダー」との比較ではいかがでしょうか。あれもニューヨークが舞台ですが。
岩井田 「ロー&オーダー」は、言ってみれば一番「ヒル・ストリート・ブルース」に近いかも知れないですね。この三つの作品の中では。企画のディック・ウルフという人は「ヒル・ストリート・ブルース」でずっと脚本を書いていた人ですし、その後、「マイアミ・バイス」でプロデューサーになった人です。「ロー&オーダー」は刑事と検事の作品ですね。要するに、刑事というのは逮捕するまでが任務で、その後は検事に渡すわけです。検事が犯人を告訴して、告発して、裁判になる。その検事まで引き込んで、逮捕するまでの話と、その後の裁判の話をまとめたものなのです。
池田 検事というのは「ヒル・ストリート・ブルース」のころから出てきます。「女刑事キャグニー&レイシー」などでは実に細かく描こうとしていても、実はなかなかテレビドラマにできない難しい駆け引きがあるように感じます。「ロー&オーダー」というのは、ある種、それを突破した作品です。
岩井田 どちらかというと、法廷というのは弁護士が主役です。検事側ではない。検事というのは、どちらかというと体制側で、悪役になってしまいます。ただ、「ロー&オーダー」の場合は、検事と刑事がうまくコンビを組んで、犯人を捕まえ、証拠を突きつけて有罪にするまでというところまで描いていく話です。その意味で、90年代の刑事ドラマというと、「ロー&オーダー」と「ホミサイド」と「NYPDブルー」という三つは比較もされますし、どれもロングランになりましたし、刑事ドラマの特集というと、この三つが出てきます。どの作品も全部エミー賞を取っています。
■犯人逮捕のその後が描かれる「ロー&オーダー」
池田 よく、クールコップス、タフでクールな警官たちみたいなものが、この3本でスタイルを完成させたみたいなところがあります。
岩井田 完成させたというよりも、全部違うので、正直言えば、この三つ全部を同時に放送してもらって見比べながら見たほうがおもしろいのではないでしょうか。
池田 僕は「ホミサイド」の中で「ロー&オーダー」が見られたときに、ニューヨークから来てボルチモアの刑事と比べたときに、本当に背広のこなし方やシャツ1枚でも、ボルチモア勢と全然違うと思いました。ベテラン刑事のほうは、マンチをなでなでする、みたいな。おまえとは勝負にならん、みたいな。マンチも、ある種、日本のテレビドラマでいうと左右田一平みたいなキャラクターなのかなと思うぐらい、ボルチモアとニューヨークというのが、これぐらいわかりやすく描かれたことはなかった。と同時に、ニューヨークのデカというのは、それぐらい忙しいのよ、と。君たちと事件の件数が「O」一個違うのよ、と。本当に働いているんだな、この人はと感じました。1個1個の事件に対して、明らかに「ホミサイド」のチームよりもクールです。あれを見たときに、これは「ロー&オーダー」も、是非日本で放送してもらいたいなと思いました。僕らは本当の断片しか見ていないわけですが、なるほどな、評判をとったのも無理はないなと思いました。
岩井田 やはり「ロー&オーダー」の一番のミソというのは、事件の後、刑事が逮捕した後を描いているというところです。
池田 そうですね。しかも、あれに出てくる検事たちが、また、一癖も二癖もある、なかなかいい人物設定です。ただの有能な検事でないところがすごいことです。
岩井田 「ロー&オーダー」を見ていくと、事件が起きたときに刑事が捜査して犯人を捕らえて終わりじゃないんだ、有罪にしなきゃいけないということがわかります。それがいかに大変で、それをやるためには検事がどういうことをして、刑事がどう協力して、犯人のほうに弁護士がついて、どう法廷で闘っていくか。そこまでやらないと一つの事件は終わらない。それが、見ていると、「ロー&オーダー」の場合は非常によくわかります。
池田 ある種、「ロー&オーダー」がそこを描いたので、90年代になってアメリカの法廷もののつくり方が、少しだけ変わりました。 「法廷関係者はつらいよ」というタイトルにしてほしかったですよ(笑)。いかにアメリカの「ポリス・ストーリー」の周りにあったものが類型だったのかということを、この90年代の3本の作品は感じさせます。
岩井田 そこから生まれたというとおかしいのですが、デビッド・E・ケリーの「ザ・プラクティス」。これも法廷ドラマの画期的な作品です。60年代、70年代の刑事たちというのは、言ってみればかなり現実離れしたお話のスーパーヒーローだったわけです。
池田 留置所にたたき込んでしまえばおしまいだったわけです。
岩井田 その辺が、90年代の三つの作品、「NYPDブルー」と「ホミサイド」と「ロー&オーダー」というのは、今まで描かなかったそういう部分をカッチリ描いて、刑事ドラマというのはこういうものだ、と。言ってみれば、三つ、いろいろな側面で描いてくれているということです。
池田 アメリカのテレビドラマ研究者が、1980年代中盤から、第2テレビ黄金時代と言っています。第1テレビ黄金時代というのは、ロッド・サーリングやレジナルド・ローズの「十二人の怒れる男」を想定しているのですが、80年代末からものすごい潮流が始まったと言っています。それは「ヒル・ストリート・ブルース」であり、「NYPDブルー」であり、「ホミサイド」であり、デビッド・E・ケリーたちの作品なのだということが一つのムーブメントとしてあります。そして、まさにその中核がこの3本だったわけです。
■アメリカドラマのメインストリームがある
岩井田 日本で放送されているアメリカのテレビドラマだけ見ていると、実はその肝心なところを見逃してしまいます。日本では「ER」がすごい人気ですし、「Xファイル」なども大人気です。確かにあれはアメリカでも人気番組なのですが、アメリカの90年代を代表する作品と言った場合は、刑事ドラマというだけではなくて、「NYPDブルー」「ホミサイド」「ロー&オーダー」、は絶対に見なければいけない。この作品で描いているドラマ性というのは、やはり主流なのです。そこから「ザ・プラクティス」という傑作も生まれているし、デビッド・E・ケリーのドラマ、要するに「アリーmyラブ」もそこから派生して出てきているわけです。
池田 その本筋を書いていた人だから、脇を書いても本筋の香りが乗っているところがあります。
岩井田 その本筋からちょっと離れて派生して人気の出た作品が、今、日本で人気が出ているのです。「ER」や「アリーmyラブ」、「Xファイル」はまさにそうです。だから、それだけではなくて、やはり、「NYPDブルー」や「ホミサイド」、「ロー&オーダー」はそういう作品と一緒に見てほしいと思います。
池田 アメリカのテレビドラマのメインストリームだという部分ですね。