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シーズン1もいよいよ後半に入り、見ごたえのあるエピソードが続いています。さりげないカットにも意味があったりするので、二度三度と見直したくなるのは私だけでしょうか。
さて、この「バトルスター・ギャラクティカ」の見どころのひとつとして、宇宙SFでありながら、9.11事件以降の現実の世相を巧みにドラマの中に取り込んでいるということがよく言われます。このところの放送分でいえば、第6話「魔女狩り」、第8話「神が導くもの」あたりで描かれた出来事がまさにそれで、私たちの世界が現実に抱えている問題が、進行形でテレビシリーズに反映されているわけです。
第6話「魔女狩り」では、人型サイロンによる自爆攻撃が行われ、その結果、大統領と艦長は、人間そっくりのサイロンが船団内に潜んでいる可能性を公表。人々は互いを疑って疑心暗鬼に陥り、パラノイアが急速に広がっていきます。魔女狩りとは何か、なぜそれが起きるのかをていねいに描き、人の心がいかに恐怖や妄執に弱いかがよくわかるエピソードになっています。
第8話「神が導くもの」では、捕虜にした人型サイロンの尋問をスターバックが担当。次々と嘘をつき人を惑わすサイロンに対し、スターバックは真実を聴き出すためには暴力も辞さないという態度に出ます。大統領の介入で拷問は中止されますが、すべてが終わったあとに、スターバックと大統領はそれぞれ意外な思いを噛みしめることになります。
ここで描かれた、自爆テロ、容疑者の拘束、尋問、捕虜虐待といった題材は、まさに、2001年9月11日の同時多発テロ事件以降に、合衆国の社会ひいては全世界が、特別に意識せざるを得なくなったテーマばかりです。事件直後から始まったアラブ系住民への嫌がらせや不当拘束はまさに「魔女狩り」の内容と重なりますが、さらに驚かされるのは、この2つのエピソードが米本国で最初に放送されたのが、2004年11月だったということです。
ちょっと調べてみると、イラクのアブグレイブ刑務所における米軍の捕虜虐待が最初に報じられたのは2004年4月です。大量破壊兵器が存在しなかったことを認めたのは10月。そして番組が放送されたのと同じ11月には、キューバのグアンタナモ基地でのテロ容疑者への拷問が明るみに出ています。イラク戦争をめぐる合衆国内の世論がちょうど大きな転換点を迎えた時期に、「バトルスター・ギャラクティカ」は粛々と放送され、時代と番組の歯車ががっちり噛み合ったわけです。
これほど規模の大きなテレビシリーズともなると、通常のスケジュールなら、脚本のアイデアを練ってから実際の製作〜放送まで、1年近くかかることだってありそうです。それなのにこの即応性! 現実の変化と同時並行で製作されていたことがよくわかるし、作り手の強い意志と緊張感も感じられます。
捕虜やテロ容疑者に対する強圧的な尋問や虐待は、真相究明の上ではほとんど役に立たず、逆にテロリストを作り出してしまう可能性が強いこと、同じ人間として処遇することが結局、真実を聴き出す早道であり、テロ防止にもなるということが、はっきりと言われるようになったのは2005年以降のことです。これはまさに「神が導くもの」で議論されたテーマであり、「バトルスター・ギャラクティカ」という娯楽番組がいかに先見性と大胆さを備えていたかがよくわかります。
SFというと良くも悪くも「現実逃避」と思われがちですが、SFの美点のひとつに、いま現在われわれが抱えている問題を、異なる時代や別世界に投射して考えることができるということがあります。世界の良き鏡としてのSF――ただしSFでしか描けないやり方で――というのがこの際の重要なポイントです。現実にとらわれすぎて、発想の飛躍もアイデアもなしにやってしまうと、SFである意味のない、陳腐なものになってしまうわけですが、「バトルスター・ギャラクティカ」の作り手は、そのあたりの機微も完璧に理解しているようです。
また、こうした硬派でシリアスで思考実験ばかりでなく、その合間に、全篇にわたってバルター博士の右往左往が描かれる第9話「裏切りの告発」のような爆笑篇を、きっちりはさみ込んでくるあたりもうれしくなります。博士がナンバー6と夢の逢瀬にふけっている現場に、スターバックがずかずか踏み込んでくる!などという、まるで男子中学生のような下ネタのコントで、涙が出るほど笑わされてしまったのだから脱帽するしかありません。
【2007年12月】
添野知生

スターバックが最高にクレイジーな戦闘機乗りであることがよくわかった第4〜5話、すごかったですね。そしてサイロンの意図も少しずつ見えてきましたが、カプリカをさまようヒロの運命や如何に。今月も目が離せません。
さて今回は、SFテレビシリーズの基本中の基本、「バトルスター・ギャラクティカ」のSF設定について考えてみましょう。
前にも書きましたが、「バトルスター・ギャラクティカ」の企画・製作・脚本を手がけるロナルド・D・ムーアは、そもそも「新スタートレック(TNG)」「スタートレック/ディープスペース・ナイン(DS)」の脚本家、プロデューサー、ストーリーエディターとして名を上げた人物です。もともとスタトレの大ファンで、TNGがスタートするや売り込みに行き、若干25歳で第3シーズンから参加するに至ったというから、SFテレビシリーズの申し子のような作家と言えるでしょう。
そんなロナルド・D・ムーアが、満を持してスタートさせた新作が「バトルスター・ギャラクティカ」です。スタートレックで培ったノウハウを生かすと同時に、違いを打ち出すこと、スタトレでできなかったことへの挑戦を考えているに違いありません。
「バトルスター・ギャラクティカ」の基本的なSF設定を、宇宙SFのスタンダードというべき「スタートレック」と比べてみれば、作り手の意図が見えてきそうです。
まず「TNG」「DS」は24世紀の人類の物語でしたが、「バトルスター・ギャラクティカ」と私たちの世界の関係ははっきりしません。人類の遠い未来、あるいは過去の物語なのかもしれませんが、そのあたりはぼかされています。本来、科学的な設定については「バトルスター・ギャラクティカ」のほうが自由度が高いと言えるでしょう。
両作品のSF設定で、すぐわかる類似点は2つあります。
まず、宇宙を移動するやり方として、通常航法とは別に、超光速航法の技術が確立されていること。スタトレでは「ワープドライブ」、ギャラクティカでは「FTL」などと呼ばれていますが、要するにこれを使えば、通常航法では何世代もかかる、あるいは冷凍睡眠状態で過ごすしかない別の宙域、別の太陽系へと瞬時に移動することができるわけです。ある程度の広がりをもった宇宙SFを作ろうとするなら、これはもう採用さぜるを得ない設定で、ましてや長く続くテレビシリーズでは、超光速航法なしでは話の展開が難しいでしょう。
もうひとつ、採用せざるを得ない(未知の)テクノロジーとしては、重力発生装置があります。宇宙船内といえども、1Gに近い重力の中で生活しているという設定にしないと、撮影も大変だし、見るほうも落ち着きません。あらゆる物理現象や船内デザインを低重力の設定で見せるのは、少なくとも実写作品ではものすごく手間がかかるし、そのわりに喜ぶのは一部のSFファンだけで、およそ見合いません。ピンポイントで低重力の描写が出てくるのはカッコいいのですが、普段は1Gの重力があるものと設定せざるを得ないのです。
この2点は宇宙SFのテレビシリーズを作る上で、変えようのない設定と言えます。そしてこれ以外の部分では、スタートレックとギャラクティカでは大きく異なっているのです。
まず目につくのは、兵器の種類の違いです。宇宙SFにおける兵器といえば、レーザー兵器、粒子ビーム兵器といった、派手で見映えがするけれど、原理やメリットのよくわからないものが使われがちです。スタートレックの世界でも「フェイザー」「光子魚雷」「防御シールド」といった、これに近いものが使われてきました。
いっぽう「バトルスター・ギャラクティカ」は、レーザーもビームも用いず、徹底して実体弾にこだわっています。だからこそ戦闘シーンはまるで古風な航空艦隊戦映画のようだし、バリアの代わりに「弾幕」なんていう言葉も出てくるわけです。最大の破壊力をもつのが核兵器であるという設定も、嫌なリアリティがあります。宇宙SFとしてはめずらしい設定ですが、迫力ある戦闘シーンを作り、破壊の恐怖が実感できるという意味では、好判断だったと言えるでしょう。
スタトレ世界を便利にしている三種の神器というべき「転送ビーム」「レプリケーター」「ホロデッキ」ですが、ギャラクティカには、それに当るものはいずれも出てきません。転送ビームがないので、人物の往来を描くたびに、小型機の着発艦シーン、輸送船のドッキング・シーンが必要になるし、惑星表面へのアプローチも容易ではありません。万能の「レプリケーター」がないからこそ、水や燃料、弾薬の補給がくりかえし問題にされ、兵站の重要性が描かれることになります。「ホロデッキ」どころか娯楽といえば飲酒、喫煙、カードゲームぐらいしか出てきませんが、これは戦時なので仕方がないでしょう。
「バトルスター・ギャラクティカ」の場合、CICと呼ばれる司令室は密閉式で、窓も大型スクリーンもありません。艦長席もなく、アダマ司令官は立ちっぱなしで、より現用兵器に近いリアリティがあります。エンタープライズDやディファイアントのメインブリッジとはかなり異なる光景と言えます。また、よくできた音声インタフェイスで動くスタートレックのコンピュータに対し、ギャラクティカではリモコンやキーパッドがまだまだ使われています。
つまるところ、われわれ人類の300年後の未来を描いたTNG、DS9よりも、人類史との接点がはっきりしないギャラクティカのほうが、SF設定が堅実で、リアリティがあり、できることの限界が多いという結論になります。意外かもしれませんが、新しいテレビシリーズだからこそ、より厳しい条件を設定し、知恵を絞ってそれをクリアしていくことで、面白いものを作り出す道を選んだわけです。この理想の高さ、挑戦的な姿勢こそが、「バトルスター・ギャラクティカ」を突出した作品にしている原動力と言えます。
【2007年12月】
添野知生

ついにシーズン1の放送が始まり、私も含めてテレビの前に釘づけ状態の人も多いのではないかと思うが、今月は前回ふれなかった「バトルスター・ギャラクティカ」のもうひとつの見どころ――視覚効果について紹介したい。
「序章」や第1話「33分の恐怖」を見れば一目瞭然なように、本作における宇宙空間の見せ方、視覚効果ショットへの力の入れようはただごとではない。テレビシリーズにあるまじき製作費をそこに注ぎ込んでいるのは明らかで、だからこそ見せ場を絞ってがんばっているのだろう――と思っていたら、毎回毎回あっと驚くようなシーンがあって茫然としているわけだが、とにかく、空戦シーンを始めとして“燃えるシーン”が目白押しなのだ。
いくつか挙げてみよう。戦闘機バイパー・マークIIの凄まじい着艦シーン、サイロンの巨大空母ベーススターから三日月型の戦闘機レイダーが雲霞の如く飛び出してくるショット、大統領専用船コロニアル・ワンの格納シーン、ドッキングした民間船への給水シーン、水タンクの爆破口を通して艦の内外を見せる切り返しのショット、そして第4話のドッグファイトから大気圏突入に至る一連の戦闘シーンなどなど、およそ他のSF映画・テレビでは見たことのない絵ばかりである。いずれも、脚本段階のアイデア、演出のセンス、完成度へのこだわりがなければ作れないレベルの仕上がりで、心臓をわしづかみにされたような興奮を味わうことができる。
これら宇宙空間のシーンに共通しているのが、画面がパンしたり、ぶれたり、ズームしたりといった見せ方の演出。これによって、まるで実際に宇宙の戦闘シーンをカメラで撮影したかのような臨場感、それらしさを感じさせてくれるのだ。ズームインした時にわずかにタイミングが遅れてピントが合う様子など、芸の細かさは芸術的ですらある。
この演出のおかげで、従来の宇宙SFのようにただ漠然と戦闘シーンを描写するよりもはるかに、広漠たる宇宙空間とちっぽけな人間集団の対比、パイロットの孤独、凄まじいスピード感といったものが実感できる。
これらの視覚効果シーンを手がけたのは、ゾイク・スタジオというハリウッドの視覚効果工房。2002年創立の新進スタジオだが、ジョス・ウィードン製作のテレビシリーズ3作「バフィー 恋する十字架」「エンジェル」「Firefly」に参加し、とりわけ宇宙SF「Firefly」でエミー賞を受賞し頭角を現したといえば、「バトルスター・ギャラクティカ」との相性の良さは明らかだろう。「Firefly」の劇場版『セレニティ』や『スパイダーマン2』などで劇場用映画にも進出し、今まさに上り調子のスタジオなのだ。
“シェイキー・カム”風の、手持ちカメラのような視覚効果映像は、このスタジオのもっとも得意とするところだそうで、「バトルスター・ギャラクティカ」ではその冴えをたっぷりと見ることができる。
ちなみに、よく混同される「特殊効果」「視覚効果」という言葉の使い分けを説明しておくと、特殊効果(Special Effects)は、撮影現場で使われる技法、視覚効果(Visual Effects)は、本篇撮影とは別の場所で作られるものを指す――というのが、現在の一般的な用法だろう。SF映画の「特殊効果」といえば、着ぐるみ、パペット、アニマトロニクス(遠隔操作のロボット)などであり、広義には、特殊メイク、ワイヤー・アクション、爆破効果などを含む場合もある。一方で「視覚効果」といえばCGであり、ミニチュアの撮影なども最近はこちらに含まれるかもしれない。
【2007年12月】
添野知生

最新テレビシリーズ「バトルスター・ギャラクティカ」がついに日本でも放送される。この日をどれだけ待ち望んだことか。涙が出るほど嬉しいというSFファンは私だけではないだろう。
思えば、パイロット版にあたる「序章」のDVDが「バトルスターギャラクティカ サイロンの攻撃」の邦題で日米同時発売されたとき、あまりの面白さに驚愕して、すかさず年間ベストの1位に推したのが今から3年前のこと。その後、米本国では順調にシリーズが開幕し、ヒューゴー賞やサターン賞へのノミネートや受賞が相次ぎ、シーズン2が終わるころには高い評価が定着。しかし日本では放送される気配もなく歯がみしたものだった。
きわめつけは今年春のエンタテインメント・ウィークリー誌(5月7日発売号)で、「The Sci-Fi 25」と題した特集において、過去25年間のSF映画・テレビからトップ25を独自に選んで発表した中で、「バトルスター・ギャラクティカ」は『マトリックス』に次ぐ第2位を獲得! 『ブレードランナー』も『未来世紀ブラジル』も『E.T.』も『エイリアン2』も『遊星からの物体X』も『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も『ターミネーター』も『ターミネーター2』も押しのけての2位!――という評価には絶句するしかなかった。
また、いかに高く評価されているか、ということでいえば、米TVガイド誌の2006年ベストドラマの結果も凄かった。なんと堂々の第1位! 「SFドラマだけでなく、現在放送中のあらゆるドラマの中で最高傑作」と、一般誌にここまで言わせたSF作品がかつてあっただろうか?
そもそも往年の有名作品のリメイク/続篇というのは、簡単には行かないものである。オリジナルの知名度を利用して話題を稼げるからといって、安易な気持ちや推敲不足の方法論で手を出すとろくなことにはならないのは、「宇宙家族ロビンソン」や「サンダーバード」の映画版を思い出せばよくわかるだろう。テレビシリーズの近作でも「事件記者コルチャック」や「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」のリメイクの評判は、残念ながら惨憺たるものである。
そんな中で、1978年のテレビシリーズ「宇宙空母ギャラクチカ」のリメイク続篇である「バトルスター・ギャラクティカ」のどこが凄いのかといえば、旧シリーズの良かったところをきちんと受け継ぎながら、現代に通用するSF・戦争・政治・人間のドラマとして、設定を徹底的にリニューアルしてみせた点にある。
旧シリーズで私が好きだったのは、まず空母ギャラクティカや戦闘機ヴァイパーのメカデザイン、そしてミニチュアによる特撮、とりわけヴァイパーの発進シーンや、宇宙を往く船団の偉容、敵サイロンのロボットの不気味さだったわけだが、これらはすべて今回の新作に受け継がれている。勇壮なテーマ曲も忘れがたいが、これも「序章」の意外なところで使われていて、にやりとさせられた。
ギャラクティカとヴァイパーのデザインは、基本的にオリジナルを踏襲したもので、なおかつそれが、この世界では旧型として扱われているところが面白い。主役メカが退役寸前の老朽艦で、博物館にすべく改修されたばかりだったのに、旧型艦だったゆえに生き残り、人類唯一の宇宙空母として実戦に復帰するはめになる――などという設定の宇宙SFがこれまであっただろうか。
そもそも「序章」を見たとき私がいちばん笑い、かつ感動したのは、旧型のヴァイパー戦闘機を急遽発進させなければならないという時の、「早く出せ!」「しかし右舷の発進デッキは土産物屋でふさがれてます」というセリフである。このあとの発進シーンがまた、旧シリーズのかっこよさをしっかりと受け継ぎながら、CGを併用したシャープなものに仕上がっていて、喜ばせてくれた。
登場人物の立ち配置や性格を改変しながら、アポロ、スターバック、ブーマーなどの名前をコールサインの形で残したのもうれしいアイデアで、旧シリーズへの愛情とファンへの目配せ、新しいものを作る意欲をうまく両立させている。
SFファンとして、もうひとつ重要な注目点として挙げておきたいのは、この「バトルスター・ギャラクティカ」の世界と、私たちの生きている現代の地球の関係である。12の植民惑星に分かれて栄華を誇ってきたこの世界の人類は、第二次サイロン戦争でその地位を追われて流浪の民となるわけだが、彼らの伝説にある「アース」とは、私たちのこの「地球」なのか。これは私たちの遙かな未来の物語なのか、あるいは遙かな過去の物語なのか。それともまったく関係がないのか。旧シリーズはこの問いにひとつの答えを出しているが、今回はそれを踏襲するのか。この謎も大いなる楽しみといえる。
作者について触れておくと、この「バトルスター・ギャラクティカ」の仕掛け人にして最大の功労者は、「新スタートレック(以下TNG)」「スタートレック/ディープスペース・ナイン(以下DS9)」のプロデューサー・脚本家だったロナルド・D・ムーアである。宇宙SFの王道を行く「スタートレック」で学んだことや思考実験の成果を、この新天地で試しているのは明らかだろう。
考えてみれば、同じく「TNG」「DS9」そして「スタートレック/ヴォイジャー」のプロデューサー・脚本家だったマイケル・ピラーは「デッド・ゾーン」を成功に導いたし(2005年病没)、「TNG」「DS9」のやはりプロデューサー・脚本家だったルネ・エチェヴァリアは「4400 未知からの生還者」を手がけ、「DS9」「ヴォイジャー」の脚本家ブライアン・フラーは「HEROES/ヒーローズ」に参加している。00年代SFテレビシリーズのヒット作の多くは、「スタートレック」シリーズから飛び出したクリエイターの手になるものであって、改めて「スタートレック」という創作の場の重要性を思わずにはいられないのである。
【2007年12月】
添野知生

1979年の1月か2月だったと思うが、当時小学生だった筆者は、東京・歌舞伎町の新宿ミラノ座で見た「宇宙空母ギャラクティカ」のことをまだよく憶えている。劇場のイスが揺れるほど迫力ある音響システム《センサラウンド》のゴゴゴゴゴゴという轟音と共に、宇宙の闇を突き進んでくるギャラクティカの重量感(宇宙で音が聞こえるのはおかしいというのはこの際さておき)。幼かった筆者はたちまち、この壮大な世界に夢中になった。
SF雑誌「スターログ」で、この映画が元々アメリカではTVで放送されたこと、1時間のTVシリーズもあることを知った筆者は後者の上陸も心待ちにした。そして、1980年秋から日本テレビ系の日曜夜8時枠では国産ドラマ「黄土の嵐」が放送されていたが、これが低視聴率で打ち切られ、翌春までの穴埋め番組として「ギャラクティカ」のTV版が「宇宙空母ギャラクチカ」という新題で放送されると聞き、狂喜した。ちなみに、その直前にはパイロット版(劇場版第1作とほぼ同じ)だけ、水野晴郎先生の解説でおなじみの「水曜ロードショー」でやったはずだ。
子供の目には最初カッコよく映ったスペース・バトルも、同じ映像が何度も使われること(いわゆる“使い回し”)に違和感を覚えるようになったが、とはいえメカの数々はどれも魅力的で、語ることの多い懐ドラだ。
それから映画ファンになった私は、西部劇を何本か見るうちに気づいた。あの「ギャラクティカ」の世界はSFであると同時に、実は西部劇だったことを。ギャラクティカをはじめとする宇宙船団は西部の大平原を行く幌馬車の群れであり、戦闘機のヴァイパーは群れを守るカウボーイが乗った馬ではないか。そんな漠然とした思いは、アダマ司令官を演じたローン・グリーンが昔、TV西部劇「ボナンザ」で西部一家の父親を演じていたと知った時、確信に変わった。
そして時は過ぎ、2003年。アメリカで「ギャラクティカ」がリメイクされたと聞き、筆者は期待半分、不安半分の気持ちになった。あのカッコいいメカが最新VFXでどう描かれるのか、期待に胸が膨らむ一方、21世紀の今、はたして“宇宙西部劇”が成立するのかどうか、正直いうと不安だった。
だが“序章”を見た筆者は、頭をガツンと叩かれたような衝撃を受けた。すべてが期待以上で、熱心なファンに比べてSFというジャンルに見識が欠ける筆者でさえ、これは傑作じゃないかと身を乗り出してしまった。今回、シーズン1の最初の数話をお先に見させていただいたが、その衝撃はまだ続いた。
たとえていうなら、名車がその雰囲気を残しつつ、フルモデルチェンジして、よりカッコよくなり、より速く走るようになり、より高級感が出た、といえばいいのだろうか。
まず、旧「ギャラクティカ」のメカ類の多くが再登場しているが、原型をとどめながらも最新のVFXと革新的なカメラワークによってリアリティを加えた。旧作の機械型サイロン(水平に動く光る目は同じプロデューサー、グレン・A・ラーソンによって「ナイトライダー」に移植!?)も味はあったが、新作ではより強そうで怖そうな冷たさがある。
各キャラも、名前とおおまかな人物関係こそ継承したが、あとは一新。女性大統領の登場、スターバックを女性に変えた新趣向、そしてヒト型サイロン、ナンバー6の出現など、女性キャラを充実させたのは、物語をより多様にすると共に、華やかさを増した。
そして肝心のストーリーも、人類の宇宙船団がサイロンと戦いながら宇宙を旅するという“材料”は同じでも、“調理(味付け)”は随分異なるものとなった。
旧作は、人類が希望を胸に新天地を探していた感がある(西部劇的!)のに対し、新しい「ギャラクティカ」は人類の存亡をシリアスに捉えた、戦争ドラマを思わせる。しかも9・11以降の行き場をなくしたアメリカを思わせる、政治とテロのドラマでもある。筆者は、サイロンから逃げる人類の姿を、あの朝マンハッタン島を背に、ブルックリン橋を走って逃げた市民たちに重ねずにいられない。
そしてサイロンも、より戦略的になった。ナンバー6というスパイを活用したり、船団を内側から攻撃するというテロまがいの作戦も。新しい「ギャラクティカ」は、壮大なSF戦争エンターテインメントなのである。
同時に、濃密な人間ドラマでもある。思い返せば“序章”の冒頭、動くカメラがワンカットでギャラクティカの船内にいる人々を次々と写していく長回しの場面に度肝を抜かれたが、「ER 緊急救命室」「ザ・ホワイトハウス」でもおなじみのこの手法を使ったことは、新しい「ギャラクティカ」を人間ドラマとしても充実させるという宣言に思えた。
魅力的キャラの群像に、一流のアクションと迫真のサスペンスが加わった「バトルスター・ギャラクティカ」。目が離せない!
【2007年11月】
アメリカTVライター 池田 敏


